ギャレットのヴィンテージウォッチ(腕時計):歴史と代表的なモデル

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ギャレットが創業したのは1466年で、コレクターの間では深い歴史を持つ会社として知られており、特に『マルチクロン』というクロノグラフは有名です。

 

ギャレットの時計が何世紀にも渡って今もなお、時を刻み続けていると同様に、会社としても過去の遺産とはなっておらず、現在でもGallet & Co.がスイスで時計を作り続けています。

そんなギャレット社ですが、ヴィンテージのものと今のものは大きく違います。

本日はギャレットのブランドの歴史を振り返りながら、ヴィンテージコレクションをメインに時計について解説して参ります。

 

 


ギャレット社 最古の時計ブランドの歴史

ギャレット ファクトリー"Gallet factory"

出典:An illustration of Gallet’s factory in La-Chaux-De-Fonds in 1911

https://montrespubliques.com/new-long-reads/an-ancient-watch-brand-the-history-of-gallet

 

ハンバート・ギャレット(Humbertus Gallet)が腕時計の会社としてギャレットを創業したのは1466年で、この頃はスイスのジェノバに住み時計を作っていました。

1466年の創業なので、一般的に言われている最初に創業した時計ブランドである『ブランパン』と比較しても、かなり早く最古の歴史を持つ会社であるのが分かりますよね。

もちろんこれは、置き時計であり真に腕時計を作り出すのは、1800年代に入ってからになります。

元々彼は、スイス人ではありませんでしたが、1466年4月18日にスイス国籍を取得しました。

次に会社にとって大きな出来事が起きたのは1826年でした。

 

 

ギャレット本社がラ・ショード・フォンへ


家族経営が、いかにして受け継がれていったのかについては、詳細な記録も残ってはいますが、次の分岐点は1826年の出来事です。

この年、ジュリアン・ギャレット(Julian Gallet)が会社をジェノバからラ・ショー・ド・フォンに移しました。

1826年は会社がGallet & Cie(Gallet & Co.)として登記された年でもあります。

 

それまでは、その時々のGallet家の家長の名前を会社に使用していました。

よって、当時の社名は『ジュリアン・ギャレット社』でした。


ジュリアンが亡くなった後は、その息子のレオン(Leon)とルシアン(Lucien)が、ルイーズ『(Louise)ジュリアンの妻』と共に事業を継ぎました。

1855年に長男のレオンが完全に会社の権限を握ると、グラムバッハ(Grumbach &Co.)という時計の会社を買収し、製造の拡充を実現します。

グラムバッハは「ELECTA」というブランド名の時計を作っていたので、ELECTA Gallet & Cie.銘の個体も存在します。


次男のルシアンは会社の経営に密接に関わりながら、1864年に新たに『ニューヨーク』と『シカゴ』に支店を設けました。

ルシアンのいとこのジュール・ラシーヌ(Jules Racine)は以前からアメリカに住んでいたため、アメリカにも市場を拡大していく際に一役買いました。

これを機に、アメリカとヨーロッパでの市場拡大が急速に進みました。

ギャレットは37種類もの時計のブランドを新たに出して、アメリカ市場で取り扱いました。

特定のターゲット市場に絞るのではなく、幅広い価格で様々な種類の時計を発売していきました。

そのため労働者階級であっても上流階級であっても、予算に合ったギャレットの時計を選ぶことができたのです。

1914年:イギリス軍へマルチクロン30を納品

ギャレット マルチクロン30 初期型

第一次世界大戦中、ギャレットは世界初のクロノグラフ腕時計「マルチクロン30」をイギリス軍向けに開発します。

30分積算計と2つのサブダイアルを備えたマルチクロン30は、それまでの懐中時計に比べてかなりコンパクトになりました。

サイズは小さくなっても、3つの部品で構成されるケース、エナメル処理されたポーセリンダイヤル(陶器製ダイアル)、3時方向の大きな竜頭などの特徴は、懐中時計から引き継がれました。

初期のマルチクロン30には13リーニュ(約29mm)のバルジューかミネルバのムーブメントが搭載され、後にヴィーナスのキャリバー150に変更されました。

 

ちなみにこの形は、手首に装着するものでしたが、腕時計への「移行期」として懐中時計として分類されています。

その後、45分積算計付きの自社ムーブメント、エクセルシオパーク・クロノグラフを搭載したマルチクロン45が主流となっていきました。 

 

エクセルシオパークとの共同開発

同年の1914年、ギャレットはベルンで開催されたスイス国立博覧会のクロノメーター部門で、銀賞を受賞します。

その4年後の1918年、アメリカ市場をターゲットにした「エクセルシオ・パーク」の時計製造が開始されました。

ギャレットとエクセルシオ・パークは、Cal.40を含む新しいムーブメントの設計製造で協力するようになります。

このムーブメントの大部分はギャレットとエクセルシオパークに納められ、工場に余裕のある時だけゼニスとジラール・ペルゴにも提供されました。

よって、ギャレット社の有名なコマンダーと同じ形をした、エクセルシオパーク社の時計も存在するんですね。

これは私の予想なのですが、おそらくエクセルシオパークがムーブメントを提供する代わりに、ギャレット社は時計を作ってあげてたのではないかと思います。

エクセルシオパーク銘が入っているギャレット コマンダー

出典:https://www.wristclassics.com/


エクセルシオパークと共同開発ができるようになったことで、ギャレットは医療関係者向けの時計など、新しい市場を開拓し続けました。

しかし、1930年代の世界恐慌により状況は一変します。

それまで多様な商品を展開していたギャレットですが、生き残るために再び一部の商品に絞らざるを得ませんでした。

この時から本格的にミリタリーウォッチの製造を開始し、そのおかげで1930年代を生き抜き、第二次世界大戦の始まる年には、以前のように年間10万個以上の売り上げに回復したのです。


これ以降、ギャレットはミリタリーウォッチやプロフェッショナルウォッチに注力し続け、以前のように幅広い商品展開をすることはありませんでした。

 

ギャレットを象徴する時計

ギャレットの始まりと発展について知っていただいたところで、次はギャレットの中でも、有名な腕時計をいくつかご紹介したいと思います。

1939年 ギャレットマルチクロンの広告

1939年ギャレットのマルチクロンの広告

 

ギャレットのマルチクロン30M

ギャレット マルチクロン30M クラムシェル

※ ギャレットのマルチクロン30M「クラムシェル」 

歴史の所でも解説した通り、ギャレットが発売した時計の中でも最も重要な時計はマルチクロン30、もしくはマルチクロン30Mと呼ばれた時計です。

このモデルの初期版は『バルジュー』か『ミネルバ』のムーブメントを搭載していました。

同じモデルでも、後に作られたバージョンには『ヴィーナス』のキャリバー150のムーブメントが使われています。 

ギャレット マルチクロン30Mに搭載されたヴィーナスCal.150

※ ギャレット マルチクロン30Mに搭載されたヴィーナスCal.150

 

この時計には、様々なケースや文字盤が組み合わせられましたが、中でも最も有名なのがマルチクロン30Mクラムシェルでしょう。

「クラムシェル」という名前は、文字盤を収納するケースの中でも特に厚いものを指します。

マルチクロン30Mが初めて発売されたのは1914年でしたが、クラムシェルバージョンが発売されたのは、ずいぶん後で1930年代後半でした。

スタイリッシュな見た目と、防水性を兼ね備えており耐久性も高いマルチクロン30Mは、多くのギャレットのコレクターたちが手にしたいと望んでいる時計の一つです。

売りに出ているものを見つけたとしても、非常に高値(約65万円)がつけられているでしょう。

 

1939年:マルチクロン・プチ

ギャレット マルチクロン・プチ バルジュー69

第二次世界大戦中、技術・科学分野の任務についていた女性士官のために、マルチクロン・プチが開発されました。

フランス語で「小さい」を意味するプチは、その名の通り世界最小の機械式クロノグラフです。

サイズは10リーニュ(約22.5mm)のバルジュー69が搭載され、ケースサイズはたったの26.6mmに抑えられています。

当時はまだ「男性と同等の仕事をする女性」に対する世間の目は厳しかったことから、プチはごく少数しか製造されておらず、コレクターの間では特に価値の高い希少な時計として知られています。

第二次世界大戦が終わると、ギャレットは軍事向けから一般/スポーツ・医療関係/民間飛行士向けへと大きく舵を取りました。

 

1938年 ギャレットのフライングオフィサー

ギャレット フライングオフィサー

 

1939年、後の第33代アメリカ大統領ハリー・トルーマン(当時は上院議員)の要請により、アメリカ空軍パイロット向けのクロノグラフ腕時計の開発に携わりました。

これは、世界で最初にワールドタイム機能を搭載したクロノグラフです。

その結果、誕生したのが「フライトオフィサー」後に「フライングオフィサー」呼ばれた時計です。

ギャレットのフライングオフィサーV150 ラーチモントヨットクラブ 1957

 

この時計は、先ほどご紹介したギャレットの、マルチクロン30Mのモデルを元に設計されました。

しかし、フライトオフィサー/フライングオフィサーには、回転式の12時間表示のベゼルなどの新機能が加わっています。

ギャレット フライトオフィサー・フライングオフィサーのカタログ

また文字盤の周りには主要都市が書かれており、パイロットが飛行中でもタイムゾーンごとの時間が見てとれるようになっています。

ご想像の通り、第二次世界大戦中には連合国側の空軍パイロットはフライトオフィサー/フライングオフィサーの時刻を頼りにしていたとされています。

しかし実際には、正式にアメリカ空軍から採用されたとした履歴はなく、どうやら個人が時計を購入し使用されていたみたいです。

大戦中から戦後にかけて、この時計はイギリスとアメリカの軍人だけでなく、民間のパイロットの間でも有名になりました。

フライングオフィサーは数多くのバージョンが作られ、この時計で今なお時刻を守ってフライトしているパイロットもいると言われています。

 

 

ギャレットのコマンダー

ギャレット コマンダー エクセエルシオパークCal.42 

ギャレットを象徴するヴィンテージ時計は、コマンダーもあります。

時計を小型化するため、コマンダー専用に設計されたエクセルシオパーク42というムーブメントを搭載した時計です。

 

 先に、ムーブメントについて簡単に解説します。

上の写真は、エクセルシオパーク42のムーブメントです。

これは初期の、シルバーコーティングが施されたものです。

ギャレットは途中から、すぐに変色してしまう銀ではなく、より長持ちするロジウムのコーティングに切り替えられました。

 

第二次世界大戦で、B-26マローダー爆撃機のパイロットであったジェームズ・リチャード・フール(James Richard Hoel)少尉が着用していたことで、コマンダーは有名になりました。

フールといえば、操縦していた航空機がドイツによって撃ち落されて捕まったことが知られています(その途中で腕時計を無くしてしまいました)。

フールは、スタラグ・ルフトIII(ドイツ空軍が運営していた捕虜収容所)に収容されていた時「大脱走」に参加しているうちの一人でした。(「大脱走」とは、この収容所からの脱走を図った出来事を題材として1963年に公開された映画のタイトルでつけられた呼び方です。)

その際の具体的な役割は、脱走トンネル内の泥をひそかに掘り出すことでした。

しかし結果は、大脱走といえるほどの大人数が脱出できたわけではありませんでした。

76名が収容所から脱出しようとトンネルを通りましたが、脱走に成功したのはたったの3名でした。

残りは捕まって、収容所に連れ戻されるか処刑されてしまいました。

とはいえ、この大脱走の試みは支配に抵抗する勇敢な出来事として、人々に刺激を与えました。

フールは収容所に連れ戻されるだけで済み、生き残ることができた者の一人でした。

その後、別の劣悪な環境の収容所に移送されましたが、そこでも生き延び、終戦とともに晴れて自由の身となりました。

さて、航空機が打ち落とされた際に無くしたギャレットのコマンダーはどうなったと思いますか?

なんと、2003年に彼の手に戻ってきたのです。

ジェームズ・リチャード・フール(James Richard Hoel)が着用していたと思われるギャレット コマンダー

2003年にタイニー・バクスター(Tiny Baxter)という89歳の男性が、自分の引き出しに眠っていた腕時計が、60年も前のものであることに気が付いたのです。

これはタイニーが、戦時中の物品をたくさん持っていた母から引き継いだものでした。

タイニーは、この動かなくなっていた時計を修理に出しました。

時計が直ってから、ピーター・クーパー(Peter Cooper)の助けを借りてフールを探し、時計を持っていることを電話で伝えたうえで返却することができました。

時計を返却する場所として選ばれたのは、マース川のまさに航空機が撃ち落された場所でした。 

このように、ギャレットの時計は歴史的にも重要な役割を果たしてきて、その文字盤やムーブメントにはたくさんの驚くような逸話が残されています。

 

 

1965年:エクセル・オ・グラフ(Excel-O-Graph)

ギャレット エクセル・オ・グラフ

ギャレットはパイロットウォッチ、
エクセル・オ・グラフ(Excel-O-Graph)を発表しました。

このクロノグラフの回転ベゼルには計算尺が取り付けられ、飛行中でも航路計算が可能でした。

ちなみに、こちらの時計もギャレットのものとエクセルシオパークのものが存在します。

1970年代になるとクオーツショックが押し寄せますが、ギャレットの時計は流行に関係のない、専門家向けの機械式時計が主流だったため、大きな影響は受けませんでした。

歴史の中でも解説しましたが、世界大戦や大恐慌を経験したことによって、軍需産業や工具時計に関心のある顧客層をターゲットにしていたからです。


しかし1983年にエクセルシオパークが倒産すると、ギャレットはエクセルシオパークの顧客にメンテナンスサービスを提供し続けるため、残りの在庫をすべて引き取りました。

 

マラソン・ブランド

1990年代のマラソン・ギャレットUSAFナビゲーターウォッチ

1984年、ギャレットはカナダの時計販売会社ワイン・ブラザーズと契約を結びアメリカ政府向けの頑丈な腕時計を開発します。

そしてその腕時計は、それまでギャレットが持っていた商標の「マラソン」としてブランド化されました。

1990年、ギャレットはアメリカ軍が湾岸戦争の「砂漠の嵐作戦」に使用したマラソン・ナビゲーター3万個を供給します。

納入に先立ち行われた試作品テストで、マラソン・ナビゲーターはアメリカ政府の厳しい基準をクリアし、過酷な戦闘条件下でも正確性と機能性が失われないことを証明しました。

ワイン・ブラザーズはマラソン・ウォッチ・カンパニーに名前を変え、現在もマラソン・ブランドの軍用時計を取り扱っています。

 

現在のギャレットの時計

ギャレット社は、何世紀もの時を経て現在も続いています。

サービス部門では、現在でも中古の時計の修理やメンテナンスをしてくれます。

1990年代前半に経営権を握ったベルナール・ギャレットは、ネレスハイマー家との親交を深め、2000年代前半には最終的にネレスハイマー家のウォルター・ヘディガーが、ギャレットを引き継ぎ最高経営責任者となりました。

名門のファミリービジネスは、ついにギャレット家の手を離れことになります。

まだ最近のことですが2018年には、インディアナポリス500のカーレースのタイム管理にギャレットのクロノグラフが(腕時計とストップウォッチともに)導入されてから100年を記念して、100thアニバーサリー レーシング ヘリテージ クロノグラフが発売されました。

 

ギャレットのヴィンテージ時計の集め方

ギャレットの時計は希少で高値がついているものが多く、プレミア価格で購入することになると思います。

最低でも20万円を上回る価格帯で、状態の良いクロノグラフは常に60万円程もの値段がついています。

ギャレット ヴィンテージ時計

3つ並ぶギャレットのヴィンテージ時計/ Dan S (omegaforums.net) より

 

保管状態が良いギャレットの正規の時計が、そこそこの価格で取り扱いがあるのを見かけたら、思い切って購入することを考えてみることをおすすめします。

ギャレットの時計は時代を超えても生き残れるよう作られており、経年劣化が見られたとしても何十年も前と同様に美しく、またきちんと動作するものがほとんどです。

最後に注意事項を記載しておきますが、正規品か疑わしい製品や交換部品も数多く流通しているようです。

ギャレットの正規品であることを示す証明書はほとんど無いため、公式に確認するのは確かに難しいかもしれません。

高額なギャレットのヴィンテージ時計を購入する際には、ネット上で問い合わせるなどしてみるとよいかもしれません。

 

ギャレット社 早わかり年表

ギャレットの歴史において、重要な節目をいくつかご紹介します。

 

・1914年

ギャレットが世界最古の、腕に着用するクロノグラフとしてマルチクロン30を製造しました。

この時計はイギリス空軍向けに製造されたものです。

マルチクロン30は初の耐水性の腕時計でもあります。

 

・1915年

ギャレットが初のヨット用タイマーストップウォッチを製造しました。

 

・1938年

ギャレットの『フライングオフィサー』に、初の回転式ベゼルが搭載されました。

 

・1939年

ギャレットが初となる、女性向けの市場をターゲットとした時計マルチクロンプチを製造しました。

直径わずか26.3mmで、当時世界最小の腕時計でした。

 

・1943年

ギャレットが初の24時間式の時計として、マルチクロンナビゲーターGMTを発売しました。この時計には方位針もついていました。

 

・1945年

ギャレットが世界初の、レガッタ・ヨットレースのカウントダウンタイマーを搭載した時計『マルチクロンヨッティングリストウォッチ』を発売しました。

 

まとめ

この記事では、ギャレット社の歴史から代表モデルを解説させて頂きました。

 

紆余曲折ありながらも、ギャレット社には550年以上にわたる深い歴史があります。

かつてのような人気はないものの、現代の私たちが見てもそのデザイン性や丁寧な作り込みは、ブランドネームだけを持つ時計ブランドよりも圧倒的な実力を感じることが出来ますよね。

歴史を振り返ると、ギャレット社というのは人や企業との相乗的な関係を築いてきたこと、新しい革新的なものを見つけ出し、それを浸透させるという、偉大な能力があったのです。

今日の、国際時計博物館やスイス時計産業連盟の設立に貢献し、一時は衰退したものの現在までスイスの時計産業が繁栄しているのは、少なからずギャレットの貢献もあるでしょう。

"ガレ フライングオフィサー