ダイバーズウォッチのパイオニア ブランパンのフィフティファゾムスの歴史
ダイバーズウォッチといえば、ロレックスのサブマリーナ、オメガのシーマスター、パネライのルミノールなどを思い浮かべる方は多いでしょう。
そして、そんな中でもフィフティファゾムスを思い浮かべる方は、まさに玄人でありほとんどの人が知らない領域ではないでしょうか?
ということでですね、今日のお話はそんな謎に満ちた『ブランパンのフィフティファゾムス』について歴史と魅力を解説して参ります。
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ブランパンってどんな会社なの?
まずブランパンという会社なのですが、創業は1735年であり時計メーカーの中では世界最古の歴史のあるブランドになります。
その後、フレデリック・ピゲ⇨スウォッチグループに買収されたことから、ブランドの歴史はもう終わってると見る方もいますが、同一の法人格として継承され続けたブランドという条件においては、世界最古なのです。
では、次にそんなブランパンから生まれた、フィフティファゾムスが生まれた背景を見ていきましょう。
フィフティファゾムスが生まれた背景
時は遡ること1950年代のブランパンのCEOであった、ジョン・ジャック・フィスターは母親の影響もあり当時ブームになっていたスキューバダイビングを趣味としていました。
※ブランパン 1950~80年代CEO ジョン・ジャック・フィスター
(出典:ブランパン公式サイト)
そんな中、事件が起きます。
スキューバダイビングに夢中になってしまい、残りの酸素量を気にしないまま長い時間を海底で過ごしたことによって、気がついた時にはもう残り少量しかありませんでした。
急いで海面まで登ったことによって、難を逃れることができましたがその時にフィスターは気がついたのです。
『海底の中で、潜水時間を正しく計測することができる計測時計が必要であることを』
このようにして、水中の世界からダイバーズウォッチが求められていくこととなっていきます。
しかし、それまでの時計製造のノウハウには、当たり前ですがダイバーズウォッチのノウハウなどは存在しません。
よって、ブランパンは白紙の状態からダイバーズウォッチの製作に取り掛かることとなったのです。
ダイバーズウォッチにはどんな機能が必要?
鍵となるのは、時計の防水性でした。
当時から防水機能がある時計はありましたが、それを腕につけたまま海に入ったりすることはできませんでした。
しかし、Oリングが発明されることによって、時計の防水性に対する認識が変わったのです。
ブランパンの防水性の構造を見ていきましょう。
まず裏蓋なのですがケースは2重構造で、ムーブメントの上にバック・プロテクターを載せます。
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その周りに太いパッキンを収める溝があるのでそこにOリングを入れて2つ目の裏蓋で押さえ、スクリューリングで圧着させる構造となっています。
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Oリングが使われることで、このような密閉性が高い防水仕様の時計が作られたのです。
次にリューズの部分の浸水についてみてみましょう。
それまでの防水時計のリューズ部分の構造は、リューズの内側にOリングを入れるものでした。
しかし、それでは時刻を合わせるときにリューズを引いた時にOリング(パッキン)も一緒に出てくるために、そこから侵入してしまいます。
そこで新しく開発されたのが、チューブの部分にOリングを取り付けることでした。
このことによって、リューズがどの位置にあったとしても、浸水の危険性がなくリューズ部分からの防水にも成功しました。
これらのOリングと、リューズの密閉性についてはフィスターが特許を取得しており、当時としては画期的な発明であり技術革新だったのです。
また海の中での視認性も、大きく改善を加えます。
特に濁った水中であったとしても、正確な時間を把握出来ることの重要性をフィスターは理解していました。
そこでフィスターは、時計の直径を大きくし、インデックスと針にホワイトの蛍光塗料を塗布することで、ブラックの文字盤とのコントラストを高めるというアイデアを考案したのです。
ダイブの時間を忘れないようにする機能
時計の機能的な面が実現されましたが、使い手である人の部分にもフォーカスし、さらに分かりやすいように改良が進みました。
フィスターは自分の実体験から、ダイバーは自分がどれだけ潜水してるのかを忘れてしまう傾向にあるというのを理解していました。
また、潜水時間が長くなればなるほど時間を正確に計測することの、重要性がますことも理解していました。
そこで、彼はベゼルに注目し、回転ベゼルがあれば潜水時間を正しく計測できるだろうと考えたのです。
どのようにベゼルを回転させるかと言いますと、まず分針にベゼルのインデックスを合わせます。
こんな感じですね↓
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また、潜水中に時計に何かが当たって意図せずに、ベゼルの位置が変わることがないように、ベゼルを上から押し込まないと動かないように設計されてるものでした。
フィフティファゾムスとフランス軍のマルビエ
このように、プロのダイバー向けに研究開発されていた「フィフティファゾムス」なのですが、当時、フランスの諜報部員として活躍していたロベール・ボブ・マルビエという人物が、その時計に注目します。
※ロベール・ボブ・マルビエ
なぜなら、隊員たちが水面下で諜報活動を効果的に行うために、高い防水性能のある時計を必要としていたからです。
このマルビエという人物は、フランスにあるラ・スピロテニーク社(現在のアクアラング社)に防水仕様で夜光インデックスがあり、ベゼルが回転することなどを相談した結果、それを実現してくれるのはブランパンだろうということで、ブランパンと出会うこととなったのです。
この時点で、十分な防水性を達成できていたのですが、ダイバーが使用するのを想定して作られていたために、軍人が必要とする機能が1つ抜けていました。
これが、耐磁性です。
軍人は、時計以外にもさまざまな電磁波を発する装備品を身につけるため、電磁波で時計の精度が狂わないかを心配していたのです。
ブランパンのフィスターは、この要望にもしっかりと対応し、軟質性のインナーケースを追加した時計がフランス海軍特殊潜水部隊に採用されます。
そして、実際にその要望通りに作られたのが、1953年発売の初代フィフティファゾムスだったのです。
このフィフティファゾムスなのですが、最終的にはパキスタン軍、スペイン軍、ドイツ軍海軍の精鋭であるフロッグマン、ついにはアメリカ軍のシールズ(SEALDs)にも採用されることとなります。
アメリカのブランパン支社
初めて採用されたのが、アメリカ軍ではなくともそれが『SEALDs』に採用されるとなると、時計の魅力は大きく変わってきます。
なぜなら、世界で最も大きな軍事費を投入し、世界最強の軍隊を保有していたのが今も変わらずアメリカだからですね。
そんなアメリカでのフィフティファゾムスの浸透は、どのように進んでいったのかをみてみましょう。
まず、ブランパンはアメリカに支社を持っていたわけではなく、アメリカでブランパンの流通を手がけた『アレン・V・トルネク』がキーマンとなります。
輸入時計にかけられる厳しい関税を逃れるために、アメリカ国内に別会社の
レイヴィルとトルネクの名前をつなげて、「トルネク-レイヴィル」を設立します。(当時のブランパンの正式な会社名は「レイヴィル-ブランパン」でした)
※右 アレン・V・トルネク
アレンは社長であるフィスターと話すをするために、スイスに飛び色々な話をしました。
そんな会話の中で、息子であるラリー(アレンの息子)はダイビングを趣味としていることを伝えると、フィスターは「フィフティファゾムス」を取り出してきて息子さんに渡してくれ、と言いその時計を渡されたのです。
※トルネクの息子 ラリー
そして、アレンは帰りの飛行機の中で考えたのです。
この時計を、海軍に供給してみてはどうかと。
アメリカ軍『SEALDs』採用の歴史
しかし、すでにその頃には軍による装備品の審査が始まっていました。
また、アメリカ海軍が使う時計の規格をまとめたミルスペックの中に、『水密性表示機能』がありました。
これは、何らかの理由で時計の中に水が入り、時計の精度が狂わないようにする機能です。
基本的に時計は、ほとんどの国では軍が管理し、ダイビングの際に個人に渡されます。
ダイバーたちは、前のダイバーが使った時計が問題がないことを確認してダイビングしないといけません。
なぜなら、時計の精度の狂いは生死に関わるからです。
時計が支給された際、ディスクの半分がブルーであれば、水が入っていないことを確認できるため、ダイバーは安心して装着することができます。
よって、ミルスペックには『水密性表示機能』があるのです。
これは6時位置にあるディスクが、ホワイトからレッドに変わることによって異常を知らせます。
この規格に対応した、新しいフィフティファゾムスを作り、アメリカのフィラデルフィアのフランクフォード兵器廠(へいきしょう)で実施される、ミルスペック試験に挑むこととなります。
1957~59年にかけて、スイスのさまざまなブランドやその他の国のブランドが参加しました。
そんな中、全ての試験に合格を果たしたのが『フィフティファゾムス』だけだったのです。
そして、アメリカ海軍の仕様案に準じて開発され たことから、ミルスペック「MIL-SPEC」と名付けられました。
よって、フランス軍に納品されたものと、アメリカ軍に納品されたものは微妙にデザインが違うんですね。
ちなみにこちらは、トルネク・レイヴィル社から出されたフィフティファゾムスであり、ブランパンのロゴはなく『TORNEK-RAYVILLE US』と記載されてあります。
フィフティファゾムスの名前の由来
「fathom」=「ファゾム」とはイギリスの水深測定単位である、海の深さを表す単位です。
そして当時のダイバーの潜ることのできる、最大深度が「50 fathoms」(約91m)であったことから最大まで挑戦するという意味を込めて「フィフティ ファゾムス」と名付けられたのです。
フィフティファゾムスとサブマリーナどっちが先?
ロレックスファンの方であれば、やはり世界初のダイバーズウォッチといえばサブマリーナだ!
と言いたいところでしょう。
しかし、サブマリーナは1953年時はまだ発売前のプロトタイプが完成した段階で、発売にまで至ってませんでした。
このプロトタイプはキャリバー6200を搭載してるものでした。
そして、実際に発売したのはフィフティファゾムスから遅れること1年後のバーゼルフェアで、6204ムーブメントを搭載したサブマリーナだったんですね。
フレデリックピゲによる買収
それから、女性アマチュアダイバーから、大きすぎなダイバーズウォッチを作って欲しいということでフィフティファゾムスより小さい『バチスカーフ』を発売します。
フィフティファゾムスも、さまざまなラインを取り入れてダイバーに愛用されるようになりました。
しかし、冒頭でもお話しした通り、ブランパンはフレデリックピゲに買収されてしまいます。
これは、スイスのほとんどのブランドがそうであったように、ブランパンもSEIKOが開発したクオーツ時計によって時計を作ることができなくなってしまったのです。
要するに、クオーツショックによる休眠状態であり『事業縮小』という決断を下すことになり、そこに目をつけたピゲに買収されるということになるんですね。
まとめ
本日はこんな感じで、フィフティファゾムスが生まれた背景について解説させて頂きました。
70年経った今でも、その洗練されたデザインは美しく古さを全く感じさせません。
しかし、誕生から70年近く経った今も熟成し、進化を続けています。
海洋調査船・カリプソ号によるサンゴ礁の調査活動の様子を描いた『沈黙の世界』という映画で使用され、アメリカ海軍が採用したことによって、ダイバーズウォッチのアイコン的な存在にまでなりました。
フィスターの、海への愛着が生んだこのストーリーを知ることで、私たちはよりブランパンが好きになりますし、フィフティファゾムスを手に入れたくなるのだと思います。