腕時計界の御三家!パテックフィリップ社の歴史と魅力と代表作
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パテックフィリップ社:1839年から現在までの歴史
パテックフィリップの成り立ち
よって創業当時の社名は、『パテック・チャペック』だったんですね。
そして3人目の人物が出てくるのですが、パテックが後の重要なパートナーとなる、エイドリアン・フィリップと出会ったのは1844年のことでした。
きっかけは、パリで開催された産業博覧会で、フィリップがキーレス巻上げとハンドセッティングのシステムに関して、銅賞を受賞したことでした。
今となっては、リューズでゼンマイを巻くのが当たり前ですが、当時はまだ鍵で回すのが一般的であり、革新的な巻き上げ方式を発表したんですね。
そんな素晴らしい技術者であるフィリップに声をかけることで、翌年の1845年、フィリップがパテックと時計を作っていくということに同意し、パテックとフィリップは共同で「パテック・フィリップ」というブランドを立ち上げたのです。
それと同時に、最初の共同創業者であった『フランソワ・チャペック』は方向性の違いから退社することになりました。
二人はまずフィリップが開発した、キーレス巻上げとハンドセッティングシステムを使った懐中時計の製造から始めました。
国際的な展開
1851年にはブランド名を変更し、同年に開催されたロンドン万博の時に、事業拡大の大きな第一歩を踏み出します。
パテックフィリップ社は、ロンドンの万国博覧会に懐中時計を出展しただけでなく、ヴィクトリア女王のために青い七宝エナメルにダイヤモンドの薔薇をあしらった、ペンダントウォッチを製作しました。
出典:Galerie
また、ヴィクトリア女王の夫であるアルバート皇もハンターケース入りのクオーターリピーター時計を購入しました。
この初めて開催された万博での活動は、パテックフィリップを含め全てのブランドが、良い広告になるというのを理解します。
というのも、国の王や王妃に気に入られたブランドというのは、海を渡ってその噂はブルジョワジーの耳に入り、求められるブランドになり得るからなんですね。
これを期に、パテックは博覧会や万博に出品をし、国の要人に向けての時計を製造し、成功を収めていくのです。
1851年に起きた、もう一つの注目すべき出来事は、パテックのアメリカへの旅です。
彼は自分の事業を国際的に拡大し、より成長させることを望んでいました。
この旅でニューヨークのチャールズ・ルイス・ティファニーと出会い、現在でも続くティファニーとのパートナーシップが始まったのです。
※ チャールズ・ルイス・ティファニー
ここでもやはり、手を結んだのは高級宝飾品を扱うメゾンであり、パテックは明確に富裕層をターゲットにしていたのが分かりますよね。
その次に開催されたのが、1855年のパリ万博でしたがここでパテックフィリップの時計が金賞を受賞します。
このように創業初期のパテック社は、どちらかというと王族、貴族、ブルジョワジーなどの超上流階級の人々に向けてかなり手の込んだ複雑時計を作ってたんですね。
次世代のパテックフィリップ 世代交代へ
グレーブス スーパーコンプリケーション ポケットウォッチ(Patek.comより)
アントワーヌ・パテックは1877年に他界し、エイドリアン・フィリップは彼の息子であるエミール・ジョセフ・フィリップを事業に招き入れ、訓練し育成しました。
1894年、共同創業者であったエイドリアン・フィリップもこの世を去りました。
ジョセフは経営者として、父とアントワーヌが築いた遺産を守るために懸命に働き会社の発展へ大きく貢献しました。
そんなパテック社ですが、ヘンリー・グレーブスJr.という人物から大きな受注を獲得します。
グレーブスはパテックフィリップ社の時計のファンであり、アメリカの裕福な銀行家でした。
グレーブスは、スーパーコンプリケーション懐中時計をティファニー社を通して発注依頼しました。
この懐中時計には24の機能と2つの文字盤があり、部品数も920点もあり、懐中時計製造史上最も複雑な時計のひとつでした。
この作品は、現在ではヘンリー・グレーブス スーパーコンプリケーション『グレーブス・ウォッチ』として知られています。
このようにティファニーと強い繋がりがあったことで、当時急成長を見せていたアメリカの富裕層を顧客にすることに成功したのです。
スターン家への移行
グレーブスによる発注依頼のおかげで、パテックフィリップ社は第一次世界大戦後の1929年におきた世界恐慌によって引き起こされた世界的な景気低迷期にも、経営を維持し続けることができました。
しかし、そんなパテックフィリップ社でも長引く世界恐慌の波には逆らう事ができず、かなり厳しい経営を強いられることになっていきます。
世界恐慌は、富裕層にも直接影響を与えメインの顧客層であったほとんどの富裕層が、パテックフィリップの時計を購入できなくなってしまったのです。
そんな状況なので、会社の所有権を買い取ってくれるところを探すことになります。
まず初めに、エボーシュを提供してくれていたジャガールクルトのジャック・ダビド・ルクルトに話を持ちかけましたが、断られてしまいます。
次に話を持ちかけたのが、1932年にパテック社に文字盤を提供していたスターン・フレール社です。
この会社は、よくある兄弟で創業された会社で、ジャンとシャルルのスターン兄弟が合意しパテックフィリップを買収します。
買収と聞くと、あまりイメージは良くありませんがスターン家の文字盤メーカーは、もともとパテックフィリップ社とは良好な関係にあり、買収前から両社の間には信頼関係が築かれていたのです。
ですので、敵対的な買収ではなく、友好的な買収であり文字盤メーカーとパテックフィリップ社の威信を合体させ新経営陣の元、事業がスタートしていくことになります。
さらに、シュテンルン兄弟は技術顧問として、タバン社のジャン・フィスターを招き入れるました。
タバンは日本では、ほとんど知られてないブランドですが、当時ではブランドパワーで言うと、今のブライトリングくらいの知名度があった会社です。
当時の大規模な会社は、オメガがトップの座に君臨しその下にロンジン、その下にタバン社という上から3番目のビッグカンパニーでした。
フィスターは時計師であり時計学者でもありましたので、その上級技術者が加わることで、パテック社の飛躍を推し進めることになります。
タバン社については、こちらの動画で詳しく解説しておりますので興味のある方はこちらの動画もご覧ください↓
変革と改革
このように、経営を再度底堅いものにできたパテック社ですが、経営陣が変わっただけでここまで軌道修正できるのであれば、他のブランドもしっかり成長していたことでしょう。
もちろん、新しい経営陣に力があったことが背景にありますが、明確に方向性を変えています。
1920~30年代は、欧米各国では革命が起きて王政が廃止されることによって、民主主義に進んでいきました。
よって、これまで同様、王族に買ってもらうというスタイルで続けていくのは不可能ですし、世界恐慌によってそれには拍車がかかりました。
そして、世界恐慌から立ち直った後にできた構図というのは、ブルジョワジーがトップに君臨するという構図だったのです。
王族ほどの超富裕層ではないにしろ、ビジネスで財をなしたブルジョワジーは王族よりも圧倒的に母数があります。
ここをターゲットにして、パテック社は軌道に載せることが出来たのです。
時計の作り方も、元々は多品種少量生産でありどちらかというと、その人やその家族に向けて最高級品を作るというものでした。
ですが、タバン社のフィスターが取り入れた生産スタイルは、自社でムーブメントを作りそこに様々なパターンの外装(文字盤やケース)を当てバリエーションを増やすというものでした。
ご存知の通り、パテック社は自社ムーブを作り上げる前はジャガールクルトを始めとした、高級エボーシュムーブメントを搭載させていました。
それを自社で設計生産することによって、部品の共有や管理のし易さに繋がり、大幅なコストカットと生産能力の向上に繋がったのです。
オメガやロンジン、ロレックスも同じようなスタイルで生産していましたが、フィスターはそれを超高級ブランドにも当てはめ成功に導いたのです。
それでは、『パテックフィリップ社』初のムーブメントを見ていきましょう。
自社製キャリバー 120-12とカラトラバ
パテックフィリップの代表作でもある『カラトラバ』ref. 96 は 1932 年に発表されました。
高さ 9 mm の 31 mm の小さな腕時計でした。
その時点では、パテック フィリップはルクルトのムーブメントに依存していたため、最初の 2 年間に製造されたカラトラバには、ルクルト社製ムーブメントが搭載されていました。
その2年後の1934年に悲願の自社製Cal.12-120が完成し、これは新経営陣のフィスターの下で開発された最初のムーブメントでした。
このモデルは、全体的な洗練されたデザインが世界中の顧客を虜にし、1932年から1973年まで製造されたパテック社を代表するモデルなのです。
このように世界恐慌を経験したことによって、ムーブメント設計の優先順位が大きく前進し、他社に引けを取らないくらいの自社ムーブメントが誕生していくことになります。
キャリバー12-120は、当時の多くのムーブメントに見られたように、スモールセコンドを搭載し、1分間に1回転する4番車が6時位置に配置され、秒針を直接駆動させるように設計されています。
この伝統的なレイアウトは、可動部品を同一平面上に分散させることでムーブメントの容積を最適化するものです。
ガンギ車と4番車は専用のブリッジで固定され、ムーブメントをまたぐ細長いブリッジは2番車と3番車用に指定されています。
※キャリバー12-120の輪列配置
懐中時計に由来するこのブリッジ構造は、20世紀初頭のスイス製手巻きムーブメントの原型となるデザインです。
ブリッジ構造は、フルプレートやスリークォータープレートとは対照的に、個々の部品へのアクセスや視認性(美的外観)に優れ、メンテナンスが容易に行えます。
同時に、このようなブリッジの構成とエッジの数は、装飾を施すのに適しているのです。
その結果、このようなマルチブリッジ構造は高級時計に限られるようになり、クォーツショックの後はコスト削減の標的にされました。
ワンプレートで作った方が、明らかにコスト面でも手間という面においても簡単なのはイメージして頂けると思います。
センターセコンド キャリバー12-120 SC
当時、このブランドで最も魅力的だったのは、センターセコンドの追求であると言えるでしょう。
外観から生まれる美しさを、最大限に引き出すことを考えると必然的にセンターセコンドにたどり着きます。
それが、高級ブランドであるならば尚更、その重要性は大きな比率を占めるのです。
現代の時計ではセンターセコンドが一般的ですが、当時のムーブメントは歯車列が6時位置で終点となり、先ほど説明したスモールセコンド針を直接駆動させる『スモールセコンド方式』でした。
1939年、パテック・フィリップのキャリバーは12-120 SC(SC はセンターセコンドを意味します)を生み出し、これはref. 96、565、570に搭載されました。
このムーブメントにはヴィクトラン・ピゲが製作した高度な間接センターセコンド機構が組み込まれています。
このセンターセコンドを搭載したムーブメントは、時計界で最も早い時期のものの1つでした。
このムーブメントの機構は、6時位置の4番車から駆動する3つの追加歯車で構成されています。
この歯車は輪列の上部に配置され、4番車の役割である『秒』を追加ホイールを使って中央へ移動させることができます。
この機構はセンターセコンドを、間接的に表示するための標準的な方法ですが、ヴィクトラン・ピゲは、中間車を支えるレバーを含む、極めて精巧な機構を設計しています。
クロノグラフを含む間接駆動のムーブメントは、歯車の動きにバックラッシュが発生するため、秒針がふらつくことがあります。
これを解消するために、右側に見える引張りバネで適度な圧力をかけ、歯車の噛み合わせを維持しているのです。
自動巻ムーブメント キャリバー 12-600AT & 27-460
自動巻の説明をすると、結構難しくなってしまうのでここでは『とにかく凄いんだ!』程度の認識で大丈夫です。
1953年、パテック・フィリップは初の自動巻きムーブメント、Cal.12-600 AT(ATは自動巻きの意)を発表し、ref.2526に搭載させました。
この時計は、自動巻き機構、ジャイロマックス・テンプ、防水ケース、18Kのローターという、ブランドの技術革新の3つを組み合わせたものでした。
キャリバー12-600 ATは、その優れた技術的品質だけでなく、デザインや装飾においても、これまでに誕生した自動巻きムーブメントの中でも、最も精巧に作られた一つとして広く認識されています。
他社の自動巻きシステムと差別化するために、パテック・フィリップは複雑でより効率的な巻き上げ機構を考案しました。
それは、ローターによって駆動される偏心輪を中心としたものです。
これはローターによる回転を一対の爪を持つカギヅメを駆動し、これがラチェットホイールの歯と相互作用して主ゼンマイを巻き上げます。
複雑な巻上げ機構はさらに改良され、後に伝説的な27-460に受け継がれることになります。
このバージョンでは、ローターの代わりにボールベアリングが採用され、調整可能なスタッドホルダーなど、いくつかの改良が施されました。
高品質のブルースチール製2層のヒゲゼンマイを搭載し、その振動数は19,800回です。
フルで巻き上がった場合は、50時間以上のパワーリザーブがあります。
パテックフィリップの様々な特許
パテックフィリップは、高級ブランドの名に恥じないほど、さまざまな特許を取得しています。
その中でも、特筆すべきは49年のジャイロマックスでしょう。
パテック フィリップ / ヴァシュロン・コンスタンタン / オーデマ ピゲ、の3社が協同で研究開発を行い、パテック フィリップが特許を取得しました。
テンプの側面にあるチラネジを使った既存のフリースプラングと比較して、偏心錘(へんしんおもり)をテンワの上に置いているので調整が比較的容易であり、空気抵抗も小さくなります。
その反面、調整幅が緩急針付きに比べて、小さいというデメリットもありましたが、それでもパテックフィリップ社には優秀な技術者がいたために、高精度のジャイロマックスを搭載することが出来ました。
その他、長年に渡りパテックフィリップ社が申請してきた代表的な特許は、以下の通りです。
1881年 精密レギュレーター
1889年 永久カレンダー機構
1902年 最初のダブルクロノグラフ
1949年 ジャイロマックス・テンプ
1953年 自動巻き機構キャリバー12-600AT
1959年 タイムゾーン時計
1977年 超薄型自動巻きキャリバー240
1986年 レトログラード式永久カレンダーを発表
1996年 年次カレンダー機構
パテックフィリップ社は、時計の文字盤、ケース、留め金など、全て合わせるとこれまでに100種類以上の特許を申請しています。
パテックフィリップの代表作品
カラトラバは先ほど詳細に解説しましたので、割愛させて頂きますがその他にも様々な代表モデルが存在しますので、ここからはそれらを紹介してまいります。
・ゴールデン・エリプス
ゴールデンエリプスの魅力はその普遍性です。
1968年に誕生したエリプスは、今年で53周年を迎え、カラトラバの次に長い歴史を持つ時計です。
ゴールデンエリプス(Golden Ellipse)の「Golden」は、ケースの貴金属を指していると思われがちです。
しかし実際にそれは何を表してるかというと「黄金比」のことなのです。
古代から伝わる数式によって導き出された比率は、誰が見ても美的感覚に優れていると感じることができる比率なのです。
この普遍の数字にインスパイアされ、柔らかな曲線を描く「ゴールデンエリプス」が誕生しました。
数学的な背景もそうですが、「エリプス」のケースデザインにはもうひとつ重要な理由があります。
それは、パテックフィリップのメゾンの中で考案されたことです。
今でこそ、このようなコンセプトは珍しいことではありませんが、当時はケースなどの外観の最も重要な要素は、外部のデザイナーによって設計されることが一般的でした。
垂直統合型、つまり「自社設計」のコンセプトが卓越したものになるまでには数十年かかると言われますが、「ゴールデン・エリプス」はそれだけの年月をかけて完成されたデザインなのです。
このデザインはパテックフィリップが持つ、デザイン性のこだわりを表した時計と言えるでしょう。
・ノーチラス
パテックフィリップは1976年にノーチラスを発表しました。
それ以来、この時計はブランドで最も人気のある時計の1つとなっています。
1976年にパテック・フィリップがノーチラスを発表したとき、それはスチール製の高級スポーツウォッチとしては初めてのものではありませんでした。
4年前の1972年にオーデマ・ピゲが発表した「ロイヤルオーク」がそう主張していたからです。
しかし、ノーチラスはさらに高価格帯に位置づけられ、最初のモデルであるリファレンス3700の広告では、この考えと価格帯を利用し、"世界で最も高価な時計のひとつがスチール製 "というキャッチコピーで時計を紹介しました。
また、この時計の特徴的な形状も注目を集めました。
ベゼルは円形でも長方形でもなく、八角形でその側面が外側にカーブしています。
さらに直径42mmのノーチラスは、ロイヤルオークより3mm大きいという、時代を先取りしたサイズでした。
よってロイヤルオークに似てるけど、全く違う時計になってるんですね。
では、なぜこのような似たような時計が誕生してるかと言いますと、ロイヤルオークとノーチラスのデザイナーが同じだからなんですね。
オーデマ・ピゲのためにロイヤルオークをデザインしたジェラルド・ジェンタは、有名な時計デザイナーでありその他にもユニバーサルジュネーブ社のポールルーターや、オメガ社のコンステレーションも手がけております。
そんなジェンタでしたが、1974年にノーチラス号のスケッチをパテック・フィリップに持ち込みました。
船の舷窓からインスピレーションを得たという珍しいケース形状は、丸みを帯びた八角形のベゼルと、その側面にはヒンジが入ったデザインになっております。
文字盤には横溝のエンボス加工が施され、一体型のメタルブレスレットが時計の個性を際立たせ、一目でそれが『ノーチラス』だと分かるようにしました。
この頃のパテック・フィリップのコレクションは、永久カレンダーやミニッツリピーターなどの高度な複雑機構を搭載したエレガントなゴールドウォッチがほとんどでした。
当初はこのような大型で、スポーティな時計がこのブランドにふさわしいのか疑問視されていましたが、結果的に大成功を収めたのです。
初代ノーチラス、Ref.3700は、ジャガー・ルクルトがヴァシュロン・コンスタンタン、パテック・フィリップ、オーデマ・ピゲのために1967年に開発した薄型自動巻きムーブメント28-255を搭載しています。
このムーブメントはロイヤルオークに初めて搭載され、キャリバー2121と命名された。
・ゴンドーロ
1993年に誕生したのがゴンドーロですが、それには歴史があります。
1872年、パテック・フィリップはブラジルのリオデジャネイロにある宝石商『ゴンドーロ&ラブリオ社』に最初の作品である懐中時計を販売しました。
この販売により、スイスの時計メーカーとブラジルの宝石商の間に強固な関係が築かれ(1927年まで続く)、何千個もの時計が販売されることになりました。
実際、ゴンドーロ&ラブリオ社への販売は、当時のパテックの生産量の3分の1を占めていたと言われてます。
パテック・フィリップは懐中時計に続き、1910年頃からゴンドーロ&ラブリオ社のために腕時計の製作も開始しました。
当時のヨーロッパは、不況と世界大戦に苦しんでいた時代で時計の売れ行きが良くなく、ゴンドーロ社が時計を購入してくれていたのは、とても大きな支えになってたんですね。
よって、必然的にゴンドーロ社が気に入るデザインが製作されるようになり、これらの腕時計は "シェイプドウォッチ "と呼ばれるものでした。
シェイプド・ウォッチとは、正方形、長方形のトノー型、クッション型など、円形以外の時計ケースのシルエットを指します。
1920年代になると、時計は懐中時計から腕時計に変わりアールデコブームと合わさり、そういったカクカクした時計が好まれる時代だったんですね。
そのアールデコ時代に、ゴンドーロ&ラブリオ社に販売した腕時計版の『ゴンドーロ・クロノメトロ』からインスパイアを得て、1993年に復活させて誕生したのがゴンドーロなんですね。
・アクアノート
1997年に発売された「アクアノート」は、モダンなスタイルを好む若者に向けてデザインされました。
1990年代後半、テクノロジー産業が爆発的に発展し、株式市場が上昇する「ドットコム・バブル」が起こりました。
特に若い人たちは新しい産業に可能性を見出し、多くの企業が立ち上げられ、すぐに売却し若くして一定の富を得た人々が増えていきました。
高級品市場もそれに対応し、若いコレクターをターゲットにした製品をデザインし、パテックフィリップは「アクアノート」でそれに応えたのです。
これは、70年代にノーチラスを発表して以来、パテック・フィリップが初めて発表したコレクションであり、1999年に発表されたレディースモデルTwenty~4がそれに続くものです。
リファレンス5060Aは、アクアノートとして初めて発表されたモデルで、ケースサイズは35.6mmの大きさです。
このモデルは、ノーチラスの小型版のように見えますが、文字盤の模様がそれとは違い非常に特徴的です。
ノーチラスの横縞(よこじま)模様とは異なり、アクアノートはブロック模様で、一見するとチョコレートのブロックのようにも見えますよね。
また、パテックフィリップにとって初めての試みとなったのが、開発とテストに1年以上を要したラバーストラップの追加です。
このストラップの柄は文字盤の柄とマッチしており、ケース本体と連続性が感じられます。
アクアノートのデザイン性
ちなみにアクアノートが、ノーチラス号から大きな影響を受けていることは周知の事実ですが、このモデルは伝説的なデザイナー、ジェラルド・ジェンタがデザインしたものではありません。
アクアノートはノーチラス号よりも小さいサイズでしたが、現在のリファレンスではアクアノートは少し大きくなっています。
ねじ込み式リューズとケースバックにより、120m防水を実現しています。
スポーティなラバー製の「トロピカル」ストラップは、フォーマルなノーチラスとは一線を画すモデルです。
・Twenty~4(トゥエンティフォー)
どのブランドにとっても、レディースウォッチをデザインすることは、大きな課題のひとつです。
女性はプライベートや仕事など、さまざまな責任を負っていることが多く、またプライベートと仕事の境界線は男性ほど明確ではありません。
つまり、完璧なレディースウォッチは、ほとんどの場面、ほとんどの服装にふさわしいものでなければならないのです。
この普遍的な汎用性という考え方が、ほとんどのレディースウォッチをブランドの「アイコン」のレベルにまで到達させない原因になっているかもしれません。
カルティエは例外ですが。
しかし、パテックフィリップはそれすらをもクリアし、そのひとつがTwenty~4です。
パテックフィリップがTwenty~4をデザインしたとき、最も重要視したのは汎用性でした。
目標は「現代の女性を美しく表現する」ことであり、一日中女性と一緒にいられるような時計を作ることでした。
だから、名前に24時間を表す "24 "と入ってるんですね。
女性の方が、自動巻の場合時刻を合わせるのが手間であるという、隠れたニーズも汲み取りパテックフィップとしては珍しいクオーツモデルも存在するのです。
「トゥエンティ〜4」をゴンドーロをよりスタイリッシュにしたものと認識する人もいるかもしれませんが、それは間違いではないでしょう。
特に1993年に発表された、ゴンドーロ・レファレンス4824と4825を見ると、確かに似ています。
しかし、ゴンドーロがよりクラシックなデザインであるのに対し、Twenty~4は極めて現代的な外観を備えています。
長方形のフォルムを巧みに組み合わせることで、パテック・フィリップはジュエリーとウォッチの完璧なバランスを見出し、Twenty~4は一目でわかるプロファイルと優れた着け心地を実現しているのです。
パテックフィリップの時計が高くなる理由
歴史を遡ることによって、パテックフィリップがいかに丁寧な仕事を実現してきたかが、分かって頂けたと思います。
1970年代以降は、CADなどの高精度でパーツを作り出す機械が誕生したので、それらのパーツは機械に任せられるようになりました。
パテック社も一部は機械を導入してるのですが、基本的には職人が手作業で1つ1つのパーツを作り出し、面取りをしコートトジュネーブやペラルージュ仕上げを施します。
それは、表面から見えない裏面においてもです。
高級ブランドだから、といえばそれまでですがそれには目的があります。
時計に錆が入らないようにそれらの加工をするのです。
それをパーツの両面にも施すことによって、時計自体の寿命が伸び人々が品質を認め、高価なリセールを生み出しているのです。
そのように1つ1つ丁寧に作られる時計なので、大量生産は不可能です。
また、時計を作ってる職人は誰もが技術力を持つ一級の人たちです。
そういった理由から、時計の生産数は少なく誰もが憧れるトップブランドであるために、価格は時計ブランドの中で圧倒的に高いんですね。
現在のパテックフィリップ
1958年にシャルル・スターンが社長に就任し、1993年にはフィリップ・スターンが、そして近年では2009年にティエリー・スターンが社長に就任しており、今も尚同族経営が途切れる事なく代々受け継がれているのです。
まとめ
王室、貴族を顧客にしていたという成り立ちがあることから、それらの人々を満足させるためにどれくらいのクオリティが必要なのか?
というのが、常に社内にあったと思われます。
歴史の移り変わりの中で、大衆を相手にしないと経営が成り行かない場合もあり、他のブランドはそれを実行に移しましたが、パテックフィリップはその流れに乗らず、今でもほとんど機械に頼らず職人技で時計を作ってるんですね。
よって、パテックフィリップの時計は人件費によってその値段になっていると言えるでしょう。
しかし、ブランドが途切れることなく180年もの間、続いてるのを見ると、やはり私たちは職人が作り出した『本当に良い時計』をいつの時代も求めてしまうのかもしれませんね。
歴史上注目すべき年と日付
パテックフィリップ社には180年以上もの間、時計を作り続けてきた中で特許の申請以外に、いくつかの注目すべき年や重要な日があります。
1941年 パーペチュアルカレンダー時計の定期生産を開始
1962年 ジュネーブ天文台でトゥールビヨン・ムーブメントが機械式時計の計時精度世界記録を達成、この記録は現在も破られていない。
1968年 ゴールデンエリプスコレクションを発表
1976年 ノーチラス・コレクションを発表
1985 -超薄型パーペチュアルカレンダー、リファレンス3940を発表
1993年 ゴンドーロ・コレクションを発表
1996年 ジュネーブのプラレワットに新製造所を開設
1997年 アクアノート・コレクションを発表
1999 年 トぅエンティフォー コレクションを発表
2001年 カイムーン トゥールビヨン(Ref.5002)を発表、この作品はブランドとして最も複雑な腕時計となる。
2006年 シリコン製ヒゲゼンマイ「スピロマックス」を発表
2008年 シリコン製脱進機を発表。パルソマックス
2011年 スピロマックス、パルソマックス、ジャイロマックスSiのテンプを組み合わせたオシロマックスを発表。
2011年 レディース初のミニッツリピーターを発表
2015年 カラトラバ パイロット・トラベル・タイム発表
2019年 カラトラバ ウィークリーカレンダー発売
パテックフィリップのような革新的な進化と歴史を持つブランドにとって、上記のような記念すべきリストは今後もずっと続くことでしょう。
これらの歴史的記録を残し続けることは、ブランドにとって特に重要なことです。
2001年、ジュネーブにパテックフィリップ・ミュージアムがオープンしました。
フィリップ・スターン氏は、時計学、時計製造の芸術性、そして伝統に対する愛を結集し、来館者に楽しんでもらうためにこのミュージアムを創設しました。
コレクションはパテックフィリップだけにとどまらず、ヨーロッパ、スイス、ジュネーブの500年にわたる時計製造の芸術性を示す、約2500点の時計や肖像画など、貴重な品々が展示されています。
また、パテックフィリップ社の世界観を紹介する「パテックフィリップ・ウォッチ・アート・グランド・エキシビション」が世界各地で開催されています。
2012年にはドバイで、2013年にはミュンヘンで、2015年にはロンドンで、2017年にはニューヨークで開催され、直近の2019年にはシンガポールで開催されました。
パテックフィリップ社 知られざる5つの事実
1.ヘンリー・グレイブス スーパーコンプリケーションは、パテックフィリップ社の最も複雑な時計ではない
最も複雑な時計という名誉は、1989年パテックフィリップ社150周年を記念して発表されました。
この非常に複雑な時計はパテックフィリップ社のキャリバー89で、33の複雑機構を備え、1,728個の部品で構成されています。
ヘンリー・グレーブスの懐中時計と同様、研究に5年、開発にはさらに4年の歳月を要した。
2.パテックフィリップはクォーツショック以前から電子ムーブメントを搭載していた
1954年と1956年、パテックフィリップは光電式置き時計の2つの特許を取得しました。
2年後には初の全電動式クロックを製作し、米国で「小型化賞」を受賞しています。
クオーツ危機の時代には、クオーツ時計の需要の高まりに対抗するため、ベータ21ムーブメントも活用しました。
その後このムーブメントはロレックスを含むスイスのメーカーに採用されました。
パテックフィリップ社はクオーツムーブメントを採用します。
その後、一部の高級ブランドはクォーツの使用から移行していきますが、パテックフィリップ社は、現在も女性向けのノーチラス、アクアノート、ゴンドーロ、トゥエンティフォーなど、高度な技術を取り入れたいくつかのモデルの生産を続けています。
3.全て自社生産
パテックフィリップ 自社工場 全て自社生産( Patek.comより)
パテックフィリップ社は、どのような部品も、外部のサプライヤーを利用するのではなく、社内で生産をしています。
これにより完璧な統制を取ることができ、また厳格な基準を維持することができるのです。
キャリバー89のような超複雑時計が開発に何年もかかるということも、このような理由からなのです。
さらに、すべての時計は機械に頼らず、手作業で仕上げられています。
4.パテックフィリップ社初のミニッツリピーターウオッチは女性のためのものだった
パテックフィリップ社レディス・ミニッツ・リピーター・ウォッチ(Patek.comより)
1916年、D.O.ウィッカム夫人のために、プラチナケースとチェーンリンクブレスレットを使用したアールデコ調のミニッツリピーターが開発されました。
パテックフィリップ社それまでミニッツリピーターのペンダントウォッチや懐中時計を製作していたが、この時計が初の腕時計製造となりました。
ケースは27.1mmのプラチナ製でした。女性専用のミニッツリピーターは、約100年後の2011年にリファレンス7000Rで発表されるこになります。
5.伝統と革新 パテックフィリップ社の先進研究部門
パテックフィリップ アドバンスド・リサーチ ミニッツリピーター 5750P( Patek.comより)
2002年パテックフィリップ社は、前衛的な技術や新素材の開発に特化した新部門を設立しました。
メーカーの理念は「伝統と革新」であり、この新部門は完璧にマッチしています。
2005年、この新部門は単結晶シリコン製ガンギ車(エスケープ・ホイール)を発表しました。
このシリコンは非常に硬く、耐腐食性があり、また耐磁性があり、軽量で、潤滑油の必要がありません。
ユリス・ナルダンがシリコンを採用したのは、2001年の「フリーク」の発売が最初です。
この新素材の開発は、その後パテックフィリップ社が他のシリコンパーツを発表するきっかけとなり、他のブランドにこの素材の使用を促進させる一役を担うことになります。
Spiromaxヒゲゼンマイに使用されるプロセスは、スウォッチグループとロレックスとのパートナーシップから特許を取得した真空酸化プロセス、Silinvarが含まれています。
その後、パテックフィリップ社をはじめとする各ブランドは、シリコンパーツを発表し続けています。
6.さらに:生産数100万個以下の腕時計
パテックフィリップ社は、モデルの希少性や高級感があり非常に人気の高いブランドですが、1839年以来、生産された時計は100万個に満たないと言われています。
パテックフィリップ社では、最も基本的な時計を作るのに9ヶ月、より複雑なモデルは2年以上かかるとされています。
また、すべての工程を手作業で仕上げていて、パテックフィリップ社が雇用する職人たちは非常に高度な技術と訓練を受けています。
2018年には、62,000本の時計が生産されました。
また、パテックフィリップに検索可能なアーカイブがあり、そこには1839年以降に作られた全ての時計の詳細な見本が掲載されています。
パテックフィリップの購入について
現代に至る長い歴史の中で、パテックフィリップ社の時計は多くのコレクターにとって重要な存在となっています。
王族や有名人が彼らの時計を所有する一方で、異なる業界全体でも多くのコレクターがパテックフィリップ社の時計を手に入れることを望んでいます。
62,000個の時計と聞くとかなり大きな数のように聞こえるかもしれませんが、これは全世界で、ロレックスやオメガなどのブランドが発表している生産量のほんの一部です。
パテックフィリップ社の時計を正規販売店で新品で購入するには、需要の関係でしばらく時間がかかるかもしれません。