アメリカ軍に支給されたベンラスのミリタリーウォッチをご紹介します。
ベンラスのタイプ1、2以前と以降では性能に大差があり、これ以降のアメリカのミリタリーウォッチにはタイプ1、2に装備されていたものが標準装備されるようになった
それ以降のミリタリーウォッチの性能の基礎となったのがベンラスのミリタリーウォッチなのです。
ベンラスの歴史の始まり
ベンラスは1921年、ニューヨークから生まれた、家族経営の時計修理業から始まりました。
「オスカー」
「ベンジャミン」
「ラルフ」
はルーマニアからの移民であり3兄弟が会社をおこし、ベンラスが誕生しました。
BENRUS という名前は、この3兄弟の一人、Benjamin Lazrus(ベンジャミン・ラズラス)の名前と名字を組み合わせてつけられました。
16世紀以降、時計といえば懐中時計でしたが、1900年代にはいってからはそれが小型化し、ストラップがつけられたリストウォッチが主流となりました。
ちょうどこのころ会社を興したこの3兄弟はそこに目を付け、民間人のために、手ごろな値段のリストウォッチを製造しようと考えました。
これがベンラスの始まりです。
戦争とベンラス
第二次世界大戦時、ベンラスも当時のほかの時計メーカーと同様に、軍のために時計を製造していました。
しかし、それはリストウォッチではなく、武器や爆弾に使う時限装置を作っていました。
さらにこのころ、ベンラスはリスボン経由でスイスのムーブメントを海上輸送できたため、民間人にむけて手ごろな価格のリストウォッチを製造販売していました。
戦後
戦後、1940年代、ベンラスは華やかでファッショナブルな時計ばかりを製造しました。
「Embraceable(エンブレイサブル)」、「Citation(サイテイション)」や「Dial‐о‐Rama(ダイアルオーラマ)」など、ユニークで派手でおしゃれなデザインばかりでした。
1950年代
1950年代初めまでに、ベンラスはハミルトンを抜きアメリカで3番目に大きな時計会社に成長しました。
1952年、スイス製のムーブメントに対する輸入関税の引き上げが行われました。
当時スイス製のムーブメントに頼りきりだったベンラスには大打撃を受けますが、逆にムーブメントもアメリカ製を使用していたハミルトンには有利となりました。
この直後、ベンラスはハミルトンの株を買いはじめ、1953年までには24%を所有し、かなりの影響力をもっていました。
最終的に、これを脅威に感じたハミルトンが、ベンラスを反トラスト法違反で訴え、差し止め命令を勝ち取りました。
1960年代、1970年代
ベンラスは、アメリカ陸軍と海軍にミリタリーイシューウォッチを製造しました。
前例にないほどの耐性を持ったミリタリーウォッチの誕生です。
ミリタリーウォッチ
ベンラス、タイプ1とタイプ2は1970年代のミリタリーダイブウォッチのなかでも、最もコレクターに愛されているものです。
これらはベトナム戦争中、アメリカ軍の精鋭軍にのみ支給されており、製造されたのは少数でした。
これは、ベトナム戦争から、軍がすべての兵役者への時計の支給をやめ、特殊部隊などの特別な任務に就くものにだけ支給するようになったためでした。
約16000個、タイプ1とタイプ2が製造されました。
タイプ1及びタイプ2(Mil-SpecMIL-W-50717)は、国防総省からのオーダーで製造されました。
アメリカ海軍UDT/SEALs、EOD、ダイバー、陸軍レンジャー、グリーンベレー、CIA工作員など、特殊部隊の使用が増えていたため、より正確で頑丈なダイビングウォッチが求められたのです。
タイプ1より以前には例がなかった、1200フィートの深さまで耐える耐水性と、衝撃や熱にも耐えることができる自動ムーブメントが搭載されました。
両タイプともに、幅43mm、高さ16mmのスチール製ワンピースケースで、この頑丈なケースと上部の厚いクリスタルが前例のない耐水、耐熱性と衝撃への強さを実現しました。
タイプ1タイプ2ともに、オートマティックベンラスGS1D2ムーブメント(ETA2620)が内蔵されていました。
ベゼルには深めの溝が刻まれており、手袋をしていても回しやすいようになっています。
タイプ2は、時計自体は同じ造りでしたが、文字盤が少し違い、標準時間と軍事時間を示すことができる使用になっていました。
タイプ1の中には非常に数が少ないのですが、ケースバックに軍用の刻印がなく、シリアル番号が刻印されているものがあります。
これは軍用に使用されるようになる前の試作品であると言われています。
一部の人々の間では、この時計に軍の刻印がなかったため、アメリカ人だと敵にばれずに済み、命拾いしたというような美談が信じられており、このことがこの時計の希少価値をあげていたりもします。
どちらのタイプにも、クラスAとクラスBがあり、クラスAの時計にはマーカーと針にトリチウムが使用されていましたが、クラスBにはそれがありませんでした。
クラスBは、ごくわずかなトリチウムにも敏感な機器がある場所(原子力潜水艦など)で使用されました。
両タイプは1972年から1980年の間製造され、民間に販売されることはありませんでした。
しかし現在はタイプ1の復刻版が販売されており、常用できるようになりました。
現在のタイプ1はオリジナルのタイプ1と同じサイズです。
300mの耐水性があり、ARコーティングがされたドーム型のサファイアクリスタルがついています。
軍用仕様ではありませんが、シンプルかつ個性的なデザインはとても愛されています。
現役でこの時計をつけていた人たちが、どんな任務に就き、どんな危険のもとミッションを遂行していたか、考えてみるととても面白いのではないでしょうか。