ダイビングの趣味から生まれた最強及び超耐水性のロレックス・サブマリーナとその歴史

誰もが知っていて、持ちたくなる時計「ロレックス」

「時計」と真っ先に思い浮かぶブランドは人によって異なりますが、5本の指に必ず含まれているブランドはロレックスと言っても過言ではないでしょう。安定して正確な、100%自社生産、画期的なムーブメント、さらに数々の特許技術をもつタフで頑丈な「ロレックス」は誰もが知っている世界的な時計ブランドです。トゥールビヨン、ミニッツリピーター、パーペチュアルカレンダーなどの高性能技術をあえて強調しなくても、ロレックスの技術力はその名前だけで信頼性を持ちます。豪華なファッション(ラグジュアリーファッション)の象徴としてルイ・ヴィトン、グッチやプラダが知られているように、時計においてはタグホイヤーやロレックスなどがその役割を担っていると言ってもいいでしょう。

Oyster Perpetual Submariner Date

[オイスターパーペチュアルサブマリーナデート(Oyster Perpetual Submariner Date)]
1953年に発売されたサブマリナーの2010年版で300mまでの防水が可能である。 904Lスチールにできており、セラクロムセラミック回転ベゼルにプラチナ目盛りがある。周辺の光に応じて明るさが変わるクロマライト夜光でコーティング、暗い海の中でも時間を簡単に確認することができる。
 

ロレックスの歴史は、1905年にロンドンで、ドイツバイエルン地方クルルムバッハ出身のハンスビルドルフ(Hans Wildorf、1881~1960)がアルフレッドデイビス(Alfred Davis)と一緒に設立したビルドルフ・デイビス時計供給会社から始まります。スイスのラ・ショードフォンの時計工場で働いた経験があったハンスは、まだ懐中時計が主流であったとき腕時計の可能性をいち早く認識し、スイスビエンの時計製造者であるヘルマンエグラー(Hermann Aegler)に依頼し、小型で精密なムーブメントを搭載した時計を初めて披露しました。

 

hans wilsdorf


ロレックスの創業者:ハンスビルドルフ(Hans Wildorf、1881~1960)

1908年に会社名をロレックスに変え、ラショドゥポンに事務所を開き、1910年には腕時計では初めてのビエルの公式時計評価センターからのスイス公式クロノメーター認定を受けました。続いて1914年には、海上時計のみクロノメーターの認定を付与していた英国のキュー天文台(Kew Observatory)から腕時計初めてAランククロノメーター認定を受け「ロレックス」は「正確な時計」であるという認識を多くの人に知らせるきっかけとなりました。

 第1次世界大戦が起きた1920年代、ロレックスは、ジュネーブに本拠地を移し、1926年にはケースを完全に密閉した、世界初の防塵・防水されている時計、オイスター(Oyster)を披露しました。1927年10月に英国ロンドンのタイピストでもあり水泳選手だった27歳の若い女性であるメルセデスグライツ(Mercedes Gleitze、1900~1981 )がイギリス海峡を渡ることでその機能を見事に証明します。 15時間15分かかったこのイベントは、ロレックスが探検家たちを後援した最初のイベントとして記録されたのです。 さらに1931年ロレックスは、着用時に永久的に動くローター(Perpetual Rotor)を装着した自動巻きムーブメントも初めて披露し、1953年にジョン・ハントを率いる遠征チームであったエドモンド・ヒラリー(Edmund Hillary)とテンジン・ノルゲイ(Tenzing Norgay)がオイスターパーペチュアルを着用してエベレスト登頂に成功し、その後探検家のための時計であるエクスプローラ(Explorer)が誕生しました。

 

ロレックスサブマリーナーの紹介

サブマリーナ5

ロレックスのサブマリーナは長く面白い話をもっている時計です。約60年以上前に導入された技術から生まれた現在のロレックスサブマリーナモデルは長い歴史と発展の産物といってもいいでしょう。防水性のオイスターケース(ねじ止め式クラウン付き)と腕時計の自動巻きムーブメントは、ロレックスの創業者であるHans Wilsdorf社長が誇るRolex Submarinerの特徴の一つです。Hans Wilsodorf社長は天才的なビジネスマンであり、優秀なマーケターでもありました。彼は新しいアイデアについていつもオープンマインドであることに知られていて、従業員の言葉に常に耳を傾けていました。このサブマリーナが誕生したのも、経験豊富で有能な取締役会メンバーの1人である、René-Paul Jeanneretが提案したのがきっかけでした。彼はダイバーを趣味として楽しんでいて、水中そして日常生活両方とも自由自在に使用できるエレガントな時計を開発するというアイデアからサブマリーナ生まれたのです。

Hans Wilsodorf


ロレックスの創業者:ハンスビルドルフ

しかし、当時の既存のロレックスのモデルは既に耐水性でありエレガントさも備わっていたため、このような時計の開発の必要性に関する議論は多くありました。そんな中、既存のロレックスの時計にはRené-Paul Jeanneretが求めていた程の性能をもったダイビング(またはスポーツウォッチ)はありませんでした。これが発端となり、機能的なスポーツウォッチの重要性を改めて見直し、Turn-O-Graph、Explorer、Submariner、Milgauss、GMT-Master等のような大胆な名前をもつ時計コレクションが1953年以来誕生したのです。ロレックスは、あらゆるタイプの環境または(スポーツ)活動に適した時計を製作することに成功できたともに、かつてないほどの成長を遂げることができたのです。

 

ロレックス・サブマリーナ1

 
サブマリーナーの先駆者

 
紹介にも述べたように耐水性の時計は、1930年代初頭から既にロレックスコレクションとして存在していました。1935年に、ロレックスのカタログには47mmクッション形のオイスターケースウォッチがあり、内部には懐中時計のムーブメントが入っており、9時に小さな秒針を持つLépine手巻きの時計でした。当時このような巨大なケースをもつ時計には人気があまりなく、この時計に対するフォローアップはありませんでした。しかし、このクッション形の時計はパネライ(Panerai)とのパートナーシップを結ぶ大事な契機となりました。当時、パネライはイタリアのロレックスのディーラーであり、ダイビング用具を専門としていました。ロレックスが供給したコルテベルトのキャリバームーブメントを備えたクッション型のオイスターケースを備えたパネライ・ラジオミールモデルは、ジュネーブの会社に影響を与え、ダイバーウォッチについて非常に有益なフィードバックを受けることになりました。このフィードバックがのちにRolex Submarinerの開発において非常に重要な役割を果たしてくれます。
 
また、サブマリーナ最初の提案者であるJeanneretは有名なJacques-Yves Cousteauと緊密な関係を築いており、プロのダイバーズウォッチである今のRolex Submarinerの開発において会社内に貴重な情報を提供してくれました。1950年代初めには、プロのダイバーズウォッチに関して多くの実験が行われ、本格的に開発に取り組むことになりました。
 
ダイバーズのテストは、サブマリーナーの道を開く

 

Trieste

1953年9月、ロレックスはダイバーズの時計を製作できたことを世界に知らせることになります。それはオーガスト・ピカード(Auguste Piccard)は深海潜水艦であるBathyscapheと一緒に海洋の3131,8メートルまで潜水することから。この潜水艦の船体に貼られたのは、ロレックスのロゴと輝く文字盤を特徴とする、この冒険のために作られたウィルスドルフのロレックスの腕時計でした。Bathyscapheが水面から浮かび上がったとき、ロレックスの時計は正常に動作していて、この瞬間サブマリーナとしての役目を果たすことができました。

 

Deep sea challenger

その後、1960年には深海に65回も潜水したことがある潜水艦のトリエステ(Trieste)とその幅2メートルの圧力球を使って、ロレックス・サブマリーナの性能を確かめることになります。この試みは、海の最深部であるマリアナ海溝のチャレンジャーディープに到達することを目標にしていました。圧力球の中には、ピカードの息子、ジャック・ピカード、ダン・ウォルシュがいました。球の外には、約1,125kg / cmの圧力に相当する水深10,916mまで耐えるように設計された、オイスターのケースがついたロレックスプロトタイプ、時計がありました。もちろん、このアイデアは、オイスターのケースがこの圧力に耐えられることを証明するためでした。1953年のBathyscapheダイブと同じように、ロレックス・サブマリーナは水の上にあった時正常に動作しており、サブマリーナの圧倒的な耐水性と頑丈性が立証されたのです。
 
Rolex Submariner - ダイバーの友達
 
このような業績は、ロレックス・サブマリーナに対する多くの注目と認識を生み出しました。1954年のバーゼルフェア(現在のBaselWorld)に訪問した人たちは、艶消しの黒い文字盤に、光沢のある秒針と分針、そして回転ベゼルを備えた腕時計の展示物を見てうれしく思い、驚いたと言います。これらのベゼルのゼロ位置には、中心に真珠が飾られた矢印がマークされており、「Submariner(サブマリーナ)-the diver’s friend(ダイバーの友人)」という小さなサインが刻まれていました。また、このロレックス・サブマリーナはTwinlockと呼ばれるスクリューダウン・クラウンシステムのおかげで100mの耐水性を備えたオートマチックムーブメントのプロダイバーズ用の時計を製作することが可能になったのです。

ロレックス・サブマリーナ2

 


サブマリーナ(Submariner)が市場に出る頃、厳しいフィールドテストにも合格しています。カンヌの深海研究所は、5ヶ月間にわたるテストを行い、12から60mの深さの水に132回にも及ぶダイビングテストを行い、1953年10月26日に最終報告が行われました。研究室からの声明は以下の通りです:
 
「地中海の非常に高い塩分や熱帯の温度と湿度が個々のダイビングの間に露出していたにもかかわらず、腐食は全く見られておらず、水分も時計内に検出されませんでした。以前他のトップブランドの耐水時計に同じテストを行ったところ、ダイビングの最初の瞬間から既に水の浸透がみられ、これは水晶の内面に凝縮された水滴があるかどうかで判断しています。また、一回に限らず数回にわたり、延長クラウンを有した時計をダイブさせました。最後のテストとして、時計を細いコードに取り付け、自蔵式圧縮空気装置で達成できる最大深度である60メートルの2倍圧力である120メートルの深さまで落としました。この深さで1時間経過しても漏れは検出されませんでした」と語っています。
 
Rolexは、Submarinerを開発しながら多くの専門家の助言、数々の業種のエキスパートからフィードバックを受け、時計の開発に励みました。サブマリーナの提案者であるJeanneretは、ダイビングの残りの時間を水中で読み取るために、ケース、ダイヤル、回転ベゼルの外側のデザインについても多くのアイデアを提供し、工夫され現在のサブマリーナまで至っています。

サブマリーナ3
サブマリーナ4

 
現在、ロレックスはジュネーブとビエルに工場を持っており、2004年に創立100周年を迎えました。現在マキシヨット・ロレックスカップ、ロレックスシドニーホバート・ヨットレースなどや、ウィンブルドン・テニスとモンテカルロ・ロレックスマスターズなどテニスの試合、ゴルフのオープンチャンピオンシップなど様々なスポーツの分野での後援を行っています。また、1976年から文化遺産、探索と発見、科学的および医学、環境、技術革新において創造的な活動をする人々に受賞するロレックス賞(rolexawards.com)などを介して、文化の分野を後援しています。

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