チューダー(チュードル)時計の歴史と魅力を徹底解説
チュードル(チューダー)の歴史を動画でご覧になる方はこちらから↓
この記事ではですね、チュードルってブランドがどのようにして誕生し、どんな代表モデルが生まれ、現在でも最前線で活躍する姿を解説して参りますので、この記事を見終わった頃には、チュードルの捉え方が大きく変わってると思いますので是非とも最後までお付き合いください。
目次はこのようになっております。
1.貧乏人のロレックス!?チュードルを生み出したハンスの想い
2.チュードルの歴史:その始まり
3.チュードル社のサインの歴史
4.1952年 チュードル・オイスター・プリンス誕生
5.1954年 ダイビングウォッチ:サブマリーナ
6.フランス海軍とチュードルのサブマリーナ
7.チュードルのファブリックストラップ
8.オイスターデイト クロノグラフ モンテカルロの誕生
9.チュードルのムーブメント
10.チューダーのヘリテージコレクションと直近の歴史
最後にまとめとなっております。
貧乏人のロレックス!?チュードルを生み出したハンスの想い
日本ではチュードルやチューダーのように、呼ばれ方がいくつかありますが、ここでは古いものを『チュードル』として、近年のものをチューダーとしてお話を進めて参ります。
ある人は「プアマンズロレックス(=ロレックスを買えない人が持つ時計)」として捉え、またある人は「コストパフォーマンスに優れた時計ブランド」として捉えています。
それはその高い品質と信頼性、長く豊かで興味深い遺産を持ち、同じ歴史を持つブランドの時計を何分の一かの価格で、身につけることができるからです。
今日、チュードルはコレクターや専門家に愛されており、私たちは迷うことなく、チュードルは自分の足で立つことができるほど強い、独立した時計ブランドだと断言することができます。
実はチュードルは、ロレックスを創業したハンス・ウィルスドルフによって創業されました。
ちなみに、チュードルに関するヴィルスドルフの言葉はこうです。
「私は数年前から、代理店がロレックスの時計よりも控えめな価格で販売でき、しかもロレックスの有名な信頼性の基準を満たすような時計を作れないかと考えていたのです。私は、この新しい時計を製造・販売するために、別会社を設立することにした。それがチュードルです」。
チュードルの歴史:その始まり
チュードル社は1926年2月、ハンス・ウィルスドルフの要請により時計職人であった『フィリップ・ヒューター』によって創業されまいた。
その時の会社名が「ヴーヴ・ドゥ・フィリップ・ヒューター」であり、この会社がロレックス社と独占使用権を結んだことにはじまります。
この時は、まだ買収ではなく「ヴーヴ・ドゥ・フィリップ・ヒューター社」だけが、チュードルの時計を扱うことが出来ると言う、独占契約ですね。
そもそも、なんでロレックスの他にブランドを作りたかったかと言うと、ロレックスはドーバー海峡を泳いで渡ったりして、とても有名にはなっていたものの、それは誰もが購入できる時計ではない高級品だったんですね。
それを解決したいというおもいから、ハンスはロレックスの廉価版であるチュードルを作ったのです。
この時期のチュードルの希少な作品には、ロレックスの名前も登場します。
これは、ロレックスがすでに市場で確固たる地位を築いていたため、チュードルがロレックスの名前を利用して、信頼と影響力を得ることができたからです。
"チュードルブランドの目的は、ロレックスの品質に対する評価を維持しつつ、より手頃な価格の時計を提供することでした"
いつもの車の例えになってしまうのですが、トヨタの車はトヨタが先でその信頼性を元にレクサスが誕生しましたが、ロレックスとチュードルは順番がその逆って感じですかね。
最初のチューダーの時計は、男性用と女性用のモデルがあり、この時代ほとんどの時計がそうであったように、アールデコのデザインを取り入れた小型のドレスウォッチが作られていました。
1932年、チュードルは最初の腕時計をオーストラリアで発表し、高級宝飾店を中心に販売されることとなりました。
そして、その4年後の1936年にどういった経緯があったか分かりませんが、ロレックス創業者のハンスがチュードルを買収し、ここでロレックス傘下のチュードルという構図が生まれたんですね。
チュードル社のサインの歴史
1926~36年のサイン
最初のチュードルの時計は、文字盤にシンプルなTUDORのサインがあり、Tの横棒が他の文字より長くなっています。
これが最初のチュードルのロゴであり、今ではこのサインを見かけることはほとんどないくらい希少なものになっております。
1936~47年のサイン
1936年10月15日にハンス・ウィルスドルフが「ヴーヴ・ドゥ・フィリップ・ヒューター」から「チュードル」を買収します。
同時期に、現在ではコレクターや愛好家に、認知されているチュードルの象徴である『バラのロゴ』が文字盤に登場するようになりました。
このサインの由来なのですが、イングランド王国、およびアイルランド王国の王朝であったチューダー(テューダー)家の象徴でもある薔薇と、盾のマークは、時計の信頼性と堅牢性という強さと、ラインの美しさという優美さの無敵の結合を象徴するものとしてデザインされました。
なんでこのチューダー家の紋章を選んだかと言いますと、当時世界最強の国家だったのはイギリスなのですが、そのイギリスの人々に愛されるようにということで、この薔薇が選ばれたんですね。
1947~65年のサイン
1947年、チュードルのロゴが変化します。
チュードルの正式発表から1年後、ロゴからシールドが徐々に消えていきました。
新しいロゴはチュードルのアイコンであるバラと、その下のチュードルの名前だけで構成されるようになりました。
ロゴは小さく控えめに描かれたり、12時の数字を覆い隠すほど大きく描かれたりその時計に応じて、ブランドのエレガンスとスタイルを強調するようになりました。
1969~現在までのサイン
こうである!と明言されたわけではありませんが、チューダー王朝の時代が終わりその薔薇を連想できないことから、盾だけを残したのではないかと思います。
この盾には、先ほども説明しましたが堅牢製と信頼性が含まれています。
1952年 チュードル・オイスター・プリンス誕生
1952年、チュードル・オイスター・プリンスが発表されます。
この時期、時計市場はエレガントなドレスウォッチだけでなく、機能性を含めて時計の幅を広げ始めていました。
チュードルにとって、その第一歩となったのが「オイスター・プリンス」です。
これは、当時ロレックスが持っていたオイスターケースでありこれは外部へ供給することはありませんでした。
しかし、このケースをチュードルの時計にも転用したのです。
それだけ、ハンスはチュードルの成功を実現させようとしてたんですね。
チュードル・オイスターはもともと34mmケースで、当時の時計の理想的なサイズを反映してました。
ですので、ヴィンテージになると31mmとかがあるんですが、これはボーイズサイズって言ってこのサイズでもメンズウォッチだったんです。
またハンスは、初めて自分自身が表面に出て、オイスタープリンス専用の広告を打ち出しました。
1952年には、エレガントで繊細なドレスウォッチという当時の時計のイメージとは異なる、力強さ、信頼性、精密さを強調した独自の広告キャンペーンを展開します。
これは、"ロレックスより安価な代替品 "ではなく、独立したブランドであることを示す目的がありましたし、それと同時に時代に求められていた、過酷な環境においても『耐久性』や『堅牢性』をアピール目的がありました。
このキャンペーンでアピールしたものを挙げると、
1.「252時間手掘りの炭鉱労働者がつけていた時計。
2.空気圧ドリルの振動に30時間耐えた時計
3.石工が3ヵ月間着用した時計
4.ビル建設で梁(ハリ)をリベットで固定する際に1ヵ月間着用していた時計
5.バイクレーサーが1,000マイルを走破した時計"
これらのポイントは、最も過酷で厳しい条件下でも信頼できる時計であることをアピールすることでした。"
一番左のポスターは、1000マイル(1600キロ)を走破したバイクのレーサーが実際に着用していたのを表しており、その右2つは工事現場において振動工具を使用する状況においても、しっかりと時計が動作していることを表しています。
グリーンランド遠征へ同行
1952年、英国海軍が主催し、エリザベス女王とウィンストン・チャーチルが後援した英国科学探検隊によるグリーンランド遠征へ、26本のチュードル オイスター プリンスの時計が同行しました。
これは、チュードルがスポーティで頑丈な時計であること、またロレックスからそのまま転用したオイスターケースのおかげで、その堅牢性が認められたためであり、まさに広告の成果だったと言っていいでしょう。
1954年 ダイビングウォッチ:サブマリーナ
そんなオイスター・プリンスで大成功したチュードルですがその次にダイバーズウォッチを生み出します。
それではここからは、そんなチュードルのサブマリーナを見ていきましょう。
チュードルは1954年に、初のダイバーズウォッチ「オイスタープリンス サブマリーナ」を発売し、初代モデルでは100m防水を実現しました。
そして、4年後の1958年には防水性能をさらに200mへと向上させ、大きな話題となりました。
この画像では、ファースト、セカンドが100m防水であるのに対して、サードが200m防水になっています。
デザインなのですが、ロゴが違うだけで当時のロレックスの、サブマリーナとほとんど同じですね。
そして、1959年になるとRef.7900系の最終モデルであるRef.7928が誕生します。
ダイバーズウォッチでも、このリューズガードがあるかないかでだいぶ印象が変わってきます。
ロレックスの後を追いながら、進化してきたチュードルのサブマリーナですが、同じようにリューズガードが搭載されたことによって、69年に誕生する第2世代までおよそ10年間も生産が続けられました。
ここまでが、第一世代なのですがチュードルのサブマリーナの独自性が生まれるのは、第2世代からでしょう。
第2世代のサブマリーナ
これまでのモデルは、ロレックスのサブマリーナのデザインをそのまま持ってきたような感じでしたが、第二世代からは大きくモデルチェンジして、チュードルオリジナルのデザインが誕生しました。
大きく分けると3つの変更点があります。
1つ目が、インデックスと針に正方形を取り入れた『スノーフレーク』と呼ばれるデザインです。
このスノーフレークは雪の結晶に見えることから、そのように呼ばれています。
日本では、この針がイカに見えることから、イカサブの方が馴染み深いかもしれませんね。
それまでのダイバーズウォッチのデフォルトであった、ドットポイントから大きく変更されていますが斬新でかっこいいですよね。
2つ目が、ムーブメントです。
それまでは前述した通り、フルーリエ社製のものを使っていましたが2世代目からはETA社製のムーブメントに変わりました。
ETA社製に変わったことによって、デイト表示も可能になりました。
画像に搭載されているものは、ノンデイト版のCal.2483でありデイト表記ありバージョンはCal.2484となります。
3つ目がサインです。
それまでは、盾バラだったのが今私たちが頻繁に見ることができる盾だけのサインに変わりました。
この3つの大きな変化があることによって、チュードルのサブマリーナは第二世代から大きくモデルチェンジしておりますし、大きくロレックスから離れた独自ブランドへと変わっていくのでした。
フランス海軍とチュードルのサブマリーナ
フランス海軍は、チュードルの品質と耐久性を認め契約を結ぶことで時計を購入しました。
チュードル社は現場での研究開発パートナーとなり、何がうまく機能し、何が改善されるべきかについて、詳細なフィードバックを提供しました。
市販品のサブマリーナも大ヒットしていたのですが、フランス海軍との違いは裏蓋にMN(Marine Nationale)の刻印が入ってるか入ってないかになります。
しかしなぜ、フランス海軍は数ある時計ブランドの中からチュードルを選んだのでしょうか?
それは、チュードルの時計がロレックスのサブマリーナのような信頼性と品質を持ちながらも、より手の届きやすい価格帯であったからです。
これこそ、ハンス・ウィルスドルフがチュードルに託したビジョンであり、そのビジョンをチュードルはしっかりと果たした成果が、このフランス海軍に納品されたサブマリーナなんですね。
それではここからは、チュードルが無料でつけていたファブリックストラップの歴史を見ていきましょう。
チュードル ファブリックストラップ
フランス海軍が、チュードルの時計を使い始めたのは前述の通りですが、60年代後半の時点ではブレスレットのないものを大量に購入していました。
つまり、すべて軍が支給したベルトか、着用者自身が自分で選んだベルトが着用されていたのです。
これは80年代半ばまで続いていたようです。
これはフランス海軍が、ただ単にコスト削減をしたかったわけではなく安全上の理由があったからなんですね。
1973年、イギリス国防省で、片方のピンが折れてももう一段安全性を高める2ピース構造の、NATOストラップがデビューしました。
NATOストラップは、レザーストラップが水になじまないことや、メタルブレスレットよりも簡単にダイビングスーツの上に装着できることから、多くのプロフェッショナルダイバーにも使用されたのです。
こういった機能性、安全性の理由から自分たちでNATOストラップを準備してそれを使っていたんですね。
2000年代初頭になると、一般の人々にもNATOストラップを使った時計がトレンドとなり、多くの人がこのベルトを装着した時計を身につけるようになりました。
チューダーはこのトレンドを取り入れ、2010年に発表されたヘリテージ・クロノでは、メタルブレスレットに加え、ファブリックストラップが追加されました。
それ以来、チュードルのヘリテージモデルにはすべて無料のファブリックストラップが付属していましたが、自社製ムーブメントを搭載した新しいブラックベイの発表と前後して、無料のファブリックストラップの付属をやめました。
(自社製ムーブメントについては次の章で解説します)
ですので、今のチューダーの時計を買っても無料でストラップがついてるわけではないんですね。
その代わり、ヘリテージモデルはブレスレット、レザーストラップ、ファブリックストラップのいずれかを選んで購入することができます。
また、ストラップを別途購入する選択肢も残されています。
一度チューダーのファブリックストラップを触ったことがあるのですが、厚みがあって市販品で売ってあるものよりも、かなり丁寧に作られていることがわかります。
ちなみにこのファブリックストラップは、15世紀以来、フランスの絹織物の中心地であったサン・テティエンヌ近郊のパスマントリーメーカーで織られているものです。
1957: チュードル初のアラームウォッチを発表
1957年はチュードルにとって重要な年であり、「チュードル・アドバイザー」の名を冠した初のアラームウォッチを発表した年でもあります。
これは、アラーム機能を搭載した史上唯一のモデルです。
さらに、1957年から1977年にかけて、3種類の「チュードル・アドバイザー」が製造されました。
このうち2つはオイスタータイプのケースを採用したもので、リファレンス7926と1537でした。
そして最後に紹介するのが、新しい専用ケースを採用したリファレンス10050です。
2011年、チュードルはこのモデルをリファレンス79620Tとして復活させています。
もちろん、現代の市場に合わせてリデザインされていますが、それでもチュードルの歴史における、重要な時代と明確で密接なつながりを作り出しています。
オイスターデイト クロノグラフ モンテカルロの誕生
ここの章では、チュードルとロレックスのクロノグラフの関係について見ていきましょう。
1970年、チュードルは初のクロノグラフを発表しました。
手巻きのバルジュー機械式キャリバー7734を搭載し、カム機構によるクロノグラフ機能を備えたオイスターデイトです。
ちなみにこの頃、ロレックスのコスモグラフ デイトナはと言うとバルジュー社製Cal.722を搭載していました。
そんなロレックスのコスモグラフ デイトナですが、誕生は1963年とチュードルよりも7年も早いです。
しかしクロノグラフはサブマリーナのように、すぐに後追いをしませんでした。
それは、ロレックスのクロノグラフのポジションにありました。
ロレックスのクロノグラフは今では、非常に人気で高値で取引されていますが当時は先にオメガのスピードマスターやブライトリングのクロノマチック、ホイヤーのオータヴィアなどがポジションを確立しており、ロレックスはまだスポーツクロノグラフの領域でポジションを確立できてませんでした。
1965年、そんなコスモグラフですが大幅改良されることになります。
クロノグラフのプッシャーにもねじ込み式が採用され、高い防水性が実現された新型が誕生したのです。
このことによって、ロレックス独自の新たなポジションの確率に成功したのです。
これをチュードルに当てはめると、1965年の新型コスモグラフ デイトナの販売から5年経過して、市場の人気具合から確実にいけるという判断が下った後にチュードルにも同じ、ねじ込み式プッシャーが採用されたモデルが誕生したのです。
1970年に登場した、オイスターデイトクロノグラフですが初代は最初の1年間だけ生産され、1971年からは早くも2代目が誕生します。
この2代目が一般的に知られるモデルで、とても人気がありモンテカルロの相性で呼ばれていますが、これは文字盤のスケールがカジノルーレットを想起させるということでこのように呼ばれているんですね。
ではですね、この画像を見ながら2代目を見ていきましょう。
そもそもですね、ぱっと見では初代と何が違うの!?という感じだと思いますので、初代との違いを解説します。
1つ目は文字盤のデザインです。
初代なのですが、文字盤全体が台形をモチーフにデザインされています。
インダイヤルが台形で、インデックスはホームベースのような形をしていますよね。
セカンドモデルになると、それらはだいぶ落ち着きカクカクとした規則性のあるよくある70年代クロノグラフのスタイルになっています。
2つ目は針です。
初代は根本が太く先に進むにつれて、細くなる針ですが2代目はこちらも70年代によく見られる棒状の針になっています。
では次はですね、そんな2代目の種類を見ていきましょう。
2ndモデルは3パターンが展開され、Ref.7049がベイクラトベゼル、Ref.7059がステンレススチールベゼル、Ref.7069が通常の回転ベゼルタイプに分類されています。
ちなみに、ファーストも同じ種類で展開されましたが、回転ベゼルのタイプのものは試作品だけで収まり製品化はされませんでした。
オレンジ、グレー、ブラックを基調としたデザインであり70年代特有のスポーティさと、斬新さがあって今の私たちが見てもとてもカッコいいと感じますね。
チュードルのムーブメント
元々チュードルは、ロレックス品質のケースやブレスレットを使用しながら、エボーシュムーブを搭載していたため、ロレックスのような信頼性と耐久性を持ちながら低価格で提供することができました。
そのため、古いチュードルの時計を見てみると、外装は同じパーツが使われているので、ブレスやリューズなどもロレックスの刻印が入ってるのです。
近年チューダーは、マニファクチュールとして大きく進化しました。
2015年に自社製ムーブメントの、開発に成功しています。
ムーブメントが完成した同年の2015年、チュードルは『ペラゴス』とこちらは去年生産終了してしまいましたが『ノースフラッグ』の時計に初の自社製ムーブメントを搭載しました。
この3針式ムーブメント Cal.MT5602は、約70時間のパワーリザーブを持ち、精度の調整がしやすいフリースプラングテンプを搭載しています。
さらに高精度の証明であるクロノメーターも取得しており、もはやロレックスの廉価版とは言えないくらいのスペックを誇ります。
一部の時計には、このように自社製ムーブメントを搭載するようになり、チューダーがロレックスに頼ることなく、全てを自社で生み出すことができるようになったのです。
ムーブメントにこだわらない人も多いですが、ムーブメントは時計の重要な要素であり、チューダーが単なる時計の組み立て屋ではなく、本物の時計メーカーに分類されるためにも、自社製ムーブメントの魅力を発信していくことが今後の重要なステップかもしれませんね。
チュードル ヘリテージコレクション
チュードルには長い歴史があり、高品質で信頼性の高い時計を作るという評判があるものの、ロレックスというブランドがあることで、逆にそれが足枷になってました。(2世タレントみたいな感じですかね)
2010年には、1970年代のチュードル「モンテカルロ」にインスパイアされた「ヘリテージ・クロノ」を発表します。
これはヘリテージにインスパイアされた最初の時計となり、その成功はチュードルに他のモデルの転用を考えさせることになりました。
2011年には、アラームウォッチ「ヘリテージ アドバイザー」、「ファストライダー クロノグラフ」コレクションを発表しています。
2012年は、チュードルのサブマリーナの初期モデルを再解釈した「ヘリテージ ブラックベイ」が発表され大きな意味を持つ年であったと言えます。
このヘリテージ・ブラックベイは、ヴィンテージスタイルを好むコレクターや愛好家がこぞって愛し、チュードルのヴィンテージダイビングウォッチの魅力をすべて1本の時計に凝縮したモデルであり、瞬く間に人気を博しました。
また、チューダーがダイバーズウォッチと密接な関係にあることから、ダイバーズウォッチは非常に人気のあるタイプの時計であることも理にかなっています。
2013年、ヘリテージ・ブラックベイはジュネーブ時計グランプリで「リバイバル」賞を受賞しています。
チュードルは、1967年に発表された同名のミリタリーウォッチを参考に、2014年に「レンジャー」を発表しました。
レンジャーは、さまざまなヴィンテージデザインを取り入れたフィールドウォッチです。
その翌年の2015年に登場した「ノースフラッグ」は、チューダーの歴史における重要な瞬間であった、1952年の英国探検隊の北グリーンランド遠征にちなんで名づけられました。
前述しましたがノース・フラッグは、チューダーで初めて自社製ムーブメントを搭載したモデルです。
同年に誕生した、チュードル ペラゴスは水深500mまでの防水機能を備えており、まさに本格的なダイバーズウォッチといえます。
さらに、ペラゴスは2015年に「スポーツウォッチ」賞を受賞しています。
2016年から2017年にかけて、ブラックベイを含むチュードルのすべてのスポーツウォッチに「マニュファクチュール」ムーブメントが導入されました。
まとめ
チュードルの時計について、出来るだけ重要な部分だけを解説しました。
これらの歴史を振り返ってみると、ロレックスの廉価版と一括りにして扱うのは雑ですし、本当の実力を分かってないということになります。
2015年までは、他社ムーブを搭載していたもののそれでも、バラロゴ時代の時計は高額で取引されています。
こういったものを見ていくと、ロレックスにはなりえないにしても今後は、オメガやブライトリングといったトップブランドの地位まで上がってくるかもしれません。
それくらいのポテンシャルを持った、素晴らしいブランド!
それが、ロレックスから独立して自社マニファクチュールを完成させた『チューダー』というブランドではないでしょうか。