ヌーベル・レマニアってどんな会社なの?クロノグラフ最強ムーブメント会社の歴史解説!
動画でレマニアの詳細をご覧になる方はこちらから↓
レマニアを知ってる方は、もうヴィンテージウォッチ愛好家と言っていいでしょう。
ということでですね、今日のお話は
『レマニアって会社は大体どんな会社なの?その歴史を解説します。』
ということについてお話をして参ります。
それでは早速参りましょう。
5つのパートに分けると
1、超簡単にレマニアの魅力解説とレマニアの始まり
2、イギリス軍から見るレマニア
3、ムーブメントメーカーとして見るレマニア
4、レマニアとクオーツショック
5、ヌーベルレマニアから「マニュファクチュール・ブレゲ」へ
となっております。
超簡単にレマニア(Lemania)の歴史と凄さ解説
スイスの時計・ムーブメント製造メーカー・レマニア(Lemania)。
レマニアは一般的にはあまり知られていませんが、時計マニアの間では「隠れた名ブランド」として有名です。
どれだけのブランドなのかと言いますと、例えばムーブメントで見ますと、「世界三大時計ブランド」と呼ばれるヴァシュロン・コンスタンタン・パテック・フィリップ、オーデマ・ピゲにも採用されていて、オメガ「ムーンウォッチ」に搭載されて月面にも到着しています。
そして時計完成品で見ますと、レマニアは精巧なミリタリー・クロノグラフを手掛けており、特にイギリス国防省向けに長年時計を納入していました。
世界3大時計ブランドやイギリス軍に納品することができる、ムーブメントの精度と信頼性。
これらのことから、皆様がイメージしやすいブランドとしてジャガールクルトと、近い性質を持つブランドだったのではないかと考えております。
そんな輝かしい歴史を持つレマニアですが、その社名はもう存在しません。
レマニアがたどった数奇な運命を、ムーブメントメーカーの側面とミリタリー・クロノグラフの側面から、解説させていただきたいと思います。
レマニアのはじまり
まずは、レマニアの歴史から。
レマニアの歴史は1884年、ジャガー・ルクルトで修行を積んだ『アルフレッド・ルグラン』という時計職人がスイス・ジュウ渓谷のル・サンティエに工房を構えたことから始まります。
簡単にジャガールクルトのご紹介をしますと、ジャガールクルトの時計製造の歴史は1930年代にレベルソを発表してからが、正式な腕時計のスタートでありそれまでは、どちらかというとエボージュメーカー(ムーブメント)の会社としての側面の方が強いものでした。
ですので、ミクロン単位まで測定できる計測器「ミリオノメーター」を発明し、時計の駆動の要である歯車などの精密部品を、高精度での製造できるようになりました。
このジャガールクルトで修行していた時期があることによって、レマニアという会社もムーブメントに強いメーカーだったんですね。
創業当初は「ルグランSA.」という社名でしたが、1940年ごろから「レマニア Watch & Co.」という名前を使い始めています。
ではここからは、ミリタリーブランドとしてのレマニアをみてみましょう。
イギリス軍へ納品したレマニア製ミリタリーウォッチ
同じ1940年代から話をしていきますが、ムーブメントの開発・製造に力を入れていたレマニアですが、イギリス、スウェーデン、南アフリカなどの国々に軍用クロノグラフを収めていた時期があります。
これが大体40〜70年代前半の話です。
特にイギリス国防省とのつながりは長く、1940年代から1970年代にかけてイギリス海軍・空軍向けのクロノグラフを製造していました。
1940年代から1960年代にかけて製造されたイギリス軍向けワンプッシュクロノグラフを納品していくことになります。
2時方向のプッシャーを1回押せばクロノグラフが作動し、もう1回押せば停止、さらにもう1回押すとリセットされる仕組みになっていました。
空軍、海軍航空隊、原子力潜水艦部隊など納入先によってダイアルの色もブラック、シルバー、ホワイトとバリエーションがあり、ケースもステンレス製ではなくチタン製のものもありました。
これは、年代別にシリーズ1、シリーズ2、シリーズ3の3つに分類されています。
こちらのレマニアのミリタリーについては、こちらの動画で詳しく解説しておりますので、お時間のある際にご覧くださいませ。
ではここからは、エボージュメーカーとしてのレマニアをみてみましょう。
SSIHーレマニア・オメガ・ティソの提携
1932年、レマニアはオメガ・ティソの提携に加わり、この3社でSSIHというグループを結成しました。
これは現在存在する『スウォッチグループ』の前身となる会社です。
創業当初からクロノグラフ・ムーブメントに力を入れていたレマニアですが、この時期には数多くのクロノグラフも手掛けました。
代表作といえば1946年に開発された、キャリバー2310でしょう。
このムーブメントはオメガ・キャリバー321のベースとなり、オメガ・スピードマスターに搭載されました。
すでにご存知の時計ではございますが、オメガ・スピードマスターは、NASA(アメリカ航空宇宙局)が当時取り組んだ月への有人宇宙飛行を目指す「アポロ計画」に使用された時計です。
1969年、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功した時、宇宙飛行士にの腕につけられていたのはスピードマスターでした。
スピードマスターが、厳しい耐用試験において優秀な成績を残せたのは、レマニアが過酷な状況下で使用される軍用時計を数多く手掛け、これらの経験により開発されたスピードマスターのクロノグラフが優秀だったからに他なりません。
つまり、レマニアのムーブメントは宇宙に飛び立ち、過酷な月面での作業にも耐えられるほど頑丈で精巧だと証明されたのです。
ただし、そういった素晴らしいムーブメントを搭載していても、実際に名を残したのはオメガのスピードマスターであって、レマニアのことを知る人は当時も今もほとんどいないというのが現状になってしまうでしょう。
レマニアとクオーツショック
しかし1971年代になると日本のSEIKOから出された、クオーツ時計が時計業界の常識を覆し、スイスのほとんどの時計メーカーは壊滅的ダメージを受けます。
もちろん、SSIHグループも「クオーツショック」の影響で、経営は悪化していきます。
そんな中、レマニアは安いクオーツ時計に対抗しようと、低価格ムーブメント・キャリバー5100を開発し1974年に発売します。
これは自動巻クロノグラフ競争元年である、1969年から遅れること5年後の話であり、先行する自動巻メーカーと比較するとCal.5100は、軍の調達規格に則って開発された名機であり、非常に頑丈で、耐衝撃性の強さが証明されているものだったのです。
軍が要求したスペックとは、
1、オートマチック(自動巻き)
2、24時間表示
3、12時間積算計
4、60分積算計(センターセコンド)
5、デイデイト
6、ハック機構
7、パワーリザーブ45時間以上
8、日差-2秒~8秒
9、作動環境-40℃~8℃
10、10気圧防水
11、耐震装置付
です。
軍用時計としては、ポルシェデザイン、チュチマがこのムーブメントを採用しており、西ドイツ空軍向けに納品されていくこととなります。
このレマニアCal.5100は一般販売時計にも多く採用されていましたが、現在は生産中止されています。
では実際の時計を見てみましょうかね。
・ポルシェデザイン
・チュチマ
・ジン(市販用)モデル142
世界で初めて宇宙に持ち込まれたオートマチッククロノグラフそれがこのモデル142です。
これは1985年、スペースラブのドイツ人飛行士であるラインハルト・フラー氏がミッションDIの際に、ステーション内で使用するクロノグラフとして市販モデルを購入し、宇宙に持ち込んだものです。
宇宙飛行という苛酷な条件下に一般市販モデルの142が選ばれ、使用されたのです。
マットブラックのケースに、赤のクロノ針がアクセントになっててかっこいいですね👍
裏蓋には、宇宙で初めて使用されたことを記念する刻印が入っています。
これらの時計なのですが、もちろんムーブメントは先ほども解説した通りレマニア製Cal.5100が搭載されております。
それでは、次にピアジェとレマニアとホイヤーの関係を見ていきましょう。
ピアジェとレマニアとホイヤー
このような名機を作り出したレマニアなのですが、SSIHの財政危機からその努力も虚しく1982年、レマニアは時計メーカー・ピアジェグループに売却されます。
レマニアを買収する前に、ピアジェはホイヤーを買収していました。
ホイヤーの話なのです、自動巻の開発競争から、ピアジェからの買収までの話は、こちらの動画で解説しておりますので、興味のある方はご覧ください。
なんで、ピアジェがここまで買収できたかと言いますと、クオーツの波が押し寄せていることを察知し、クオーツ時計を主力に置き自社でクオーツムーブメントを作るようになったからなんですね。
こうしてピアジェのもと、レマニアとホイヤーの結び付きができ、ホイヤーの時計にレマニアのキャリバー5100ムーブメントが搭載されるようになりました。
しかし1985年、ピアジェだけではホイヤーブランドを支えることはできないと判断し、ホイヤーは中東の投資家グループ・TAGに売却され、タグ・ホイヤーに社名を変更します。
同じように1992年レマニアも、中東の投資家グループ・インベストコープに買収されてしまいました。
次第にタグ・ホイヤーとレマニアの関係は薄れていき、レマニアムーブメント搭載ホイヤーは次第に市場から消えていくこととなっていくのです。
それではここからは、その後のレマニアを見ていきましょう。
ヌーベル・レマニアとブレゲ
この時にレマニア社は名前を、「ヌーベル・レマニア(『新しいレマニア』の意味)」に社名を変更することになります。
インベストコープは、それ以前の1987年にブレゲを買収し、ブレゲ・グループを構築していました。
こうしてヌーベル・レマニアはブレゲ・グループの一員に加わることになります。
1999年、インベストコープはブレゲ・グループをスウォッチ・グループに売却します。
SSIHグループは、もうこの頃にはスウォッチグループに名前を変更していましたからね。
こうしてレマニアは、SSIH時代のパートナーだったオメガ、ティソと再び同じグループに入ることになったのです。
スウォッチはキャリバー5100のグループ外への供給を中止し、ジンなどの時計メーカーはこのヌーベル・レマニアのムーブメントを使うことができなくなりました。
ヌーベル・レマニアはスウォッチ傘化となりましたが、グループ内のムーブメント製造メーカー・ETAと立ち位置がダブってしまいました。
それに、スウォッチが目指していたのはブレゲのブランド再興であり、ムーブメントの強化ではありませんでした。
そうした理由から、スウォッチはヌーベル・レマニアを「マニュファクチュール・ブレゲ」という社名で「ブレゲ専属のムーブメント部門」と位置付け、「ブレゲの時計は『自社』開発したムーブメントを搭載している」というセールスポイントを作り出したのです。
こうして「レマニア」の名前は姿を消してしまいました。
しかし、その伝統は「マニュファクチュール・ブレゲ」に脈々と受け継がれています。
ブレゲのムーブメント部門に配置されているというのは、やはり特別な意味を感じることができますよね。
どちらかというとETAは汎用性を重視し、「マニュファクチュール・ブレゲ(レマニア)」は高級機に向けたムーブメントと差別化されているのでしょう。
このようにしてレマニアは「マニュファクチュール・ブレゲ」として、今もスイス・ジュウ渓谷のロリエントに工場を構え、世界五代時計ブランドの一角を成すブレゲに向けて精巧なムーブメントを製造し続けています。
華やかさのあるブランドではありませんが、華やかさのあるブランドの中にいつもレマニアがいた。
そして、レマニアがそれらのブランドの下支えをしていた!
そんな素晴らしきムーブメントメーカーがレマニアにぴったりだと私は思うのです。
レマニアの時計の高騰はどれくらい?
最後にですね、一例をご紹介させていただくんですが、こちらが25年前の雑誌なんですよね。
そこで売りに出されてた金額は、13万円なんですよね。
すでに、レマニアミリタリーのことを知ってる方であれば、イギリス軍に納品されたのが、ファーストからサードまでありますが状態の悪い最安でも50万はしますし、コンディションが良ければ大体120万円くらいになるものもあります。
ということは、最安ラインを見ても25年の間に3倍まで行ってるんですよね。
ロレックスみたいに、短期の大高騰って時計ではありませんが値段が上がっていくほどの実力があるのが、このレマニアの時計でありそれだけ世界中にコレクターがいるってことですね。