エニカ(シェルパ)のヴィンテージ腕時計:歴史と代表的なモデル解説
動画でエニカ(ENICAR)の歴史と代表作品をご覧になる方はこちら↓
日本では、ほぼ誰も知らない時計ブランド。
それがエニカになります。
これを開いてるということは、何かしら聞いたことがあってもそこまで深く知らないから、聞いてみようって感じなのではないでしょうか。
しかし、エニカを一目見れば、ヴィンテージウォッチのコレクターにとってなぜこれほど魅力的なものであるかが、すぐにわかると思います。
エニカの時計が好きというわけではなくても、このブランドの歴史や、それらの代表的なモデルを知ることで、エニカの時計自体の素晴らしさをお分かり頂けると思いますので、是非とも最後までお付き合いください。
目次はこのようになっております
1.エニカの時計の歴史
2.クオーツショック以降から現在のエニカ
3.エニカの「革新」と宣伝
4.エニカの代表作品解説
エニカの時計の歴史
エニカの前身となる会社は、1854年にスイスのレングナウでラシーン家によって創立されました。
その後、その子孫であるアリステ・ラシーン(Ariste Racine)と妻のエマ・ブラット(Emma Blatt)により1913年に『エニカ』というブランド名が付けられます。
そのまま、ラシーンという名前で良さそうですが、既にギャレット一族の親戚に当たるラシーン家が、製品にアメリカ市場向けのブランドネームである「Racine」という名前を使用していたので、アリステは別の名前をつけることになります。
ちょっと分かりにくいと思いますので、簡単に説明しますとギャレット家の親戚にJules Racine(ジュール・ラシーン)という人がいて、ギャレット、ラシーン、エニカは同じ一族が創設してるんです。
妻のエマは、アメリカ市場向けの名前がブランドを混乱させる原因になってはいけないと思い、Racineを逆さに綴る(つづる)というアイデアを思いついたことから、Enicar(エニカ)というブランド名が付けられたのでした。
Longeauのエニカ工場:絵(左)と1950年代の写真(右)
当初、アリステとエマはラ・ショー・ド・フォン(La-Chaux-de-Fonds)の自宅を組み立ての施設として使用していましたが、のちにロンジョー(Longeau、現在の地名はレングナウ(Lengnau))にある、エマの母の家に引っ越しました。
1919年よりロンジョーに新たな工場を設立し、この時から「エニカ」というブランド名を、全ての時計に使用するようになりました。
アリステの息子も1934年から事業に入り、父親と同じように優秀なセールスマンとして貢献しました。
独自のムーブメントを開発したことで(同時にバルジュー(Valjoux)やアドルフ・シールド(Adolph Schild)のムーブメントも使用していましたが)、スイス製の時計として、他社では真似できない価格と品質を実現し世界中で大成功を収めました。
エニカの素晴らしいデザインの時計/ @northshorechronoより
登山、カーレース、ダイビング、航空(日本の航空会社、スカンジナビア航空、スイスエアそしてポーランド海軍の歴史を振り返ってみると、エニカの時計が登場します。
クオーツショック以降から現在のエニカ
日本では、エニカの知名度はほぼ0だと思うのですがアメリカでは、エニカというブランドは今でも存在しています。
しかし、ブランド名は同じですがヴィンテージのエニカの時計は、現在のものと全く別物として扱わなければいけません。
他のブランドでもそうですが、エニカは80年代にクォーツショックにより危機的な状況にありました。
1981年には破産を強いられ、W.M.Enicarという名の会社として再始動することとなりました。
それでも残念ながら、1987年には倒産し最終的に財産を売却せざるを得ませんでした。
1988年に、オークションでエニカの名を使用する権利を得た会社がありましたが、この会社はエニカという名前を使用した以外は、当初と同じ工程で生産を続けることもなければ、過去の在庫の製品、部品、工程など当初のエニカの時計と繋がりのあるものを何一つ使いませんでした。
ブランドネームだけが欲しかったのかもしれませんね。
実際に、今のエニカの腕時計を見ても魅力的な時計はありません。
その反面、ヴィンテージエニカ(1970年代まで)の人気が高まっているのは、現在のエニカとは比較にならないほど、時計が作り込まれていることにあります。
エニカの成功の最大の要因は、時計の価格の割に品質が高いという点にありました(特にエニカが人気だった中国においてこの傾向は顕著でした)。
しかしそれだけではなく、エニカの名前を一躍有名にしていくきっかけとなった出来事もいくつかありました。
現在のように、インスタグラムでインフルエンサーが手首の時計を見せるような時代ではなかったので、小さな時計メーカーがその名を世に知らしめるには、よりクリエイティブになるしかありませんでした。
ではここからは、エニカの時計と知名度を上げた広報活動を、時計に焦点を当てながら見ていきましょう。
エニカの「革新」と宣伝
エニカが秀でていた点を一つ挙げるとすれば、まず時計作りですがもう一つ挙げるならば宣伝力であり、広告となるあらゆる機会を活用していました。
小さな家族経営のブランドで、広告宣伝費の予算が最初から十分にあったわけではないので、あるものを最大限に活用するしかなく、時には自分で腕まくりをしてPRすることもありました。
エニカがスポンサーとなったPhilipper ErhardのRenault Alpine/ @vandervenusより
私たちは、モータレースの場面でホイヤーが世界初の自動巻ムーブメントを搭載した、モナコの広告の素晴らしさを知っています。
しかし、実はエニカはそれよりも前に同じモーターレースの場を使って、人々にエニカという時計ブランドを知って貰い自社の知名度を高めることをやっていたのです。
ここからは、広告と一緒にそれらの時計を見ていきましょう。
まずはシェルパから、お話しして参ります。
エニカのシェルパの始まり
エニカが発行した冊子に掲載された1956年の登山/ enicar.orgより
1950年代半ばに、エニカはエベレスト登頂を目指す、スイスの登山家グループのスポンサーとなりました。
これは当時としては非常に大きな機会で、特筆すべきエニカの人気爆発に繋がりました。
この宣伝によりかなりの注目を集めたため、改めてブランド名に焦点を当てることを決め、1960年代から70年代を通じてヒマラヤに住む民族「シェルパ」の名前を各モデル名の頭につけて大いに活用しました。
(ヒマラヤ山脈は中国とネパールの国境付近にあり、シェルパはその麓に住むネパールの少数民族の1つです)
エニカ ウルトラソニック
エニカのウルトラソニックの広告
超音波を意味する『ウルトラソニック』というと非常にハイテクな言葉に聞こえるかもしれませんが、このモデル名は1953年にエニカ工場で採用された、シンプルなクリーニングの工程にちなんで名づけられました。
ムーブメントを、クリーニングする際に超音波洗浄の方法が使われたのです。
この技術によって、従来の時計よりもオイルが長持ちするため、メンテナンスの間隔を長くとることができるようになるとエニカは謳っていました。
今となっては、当たり前の超音波洗浄ですが当時としては、最新のクリーニング技術だったのかもしれませんね。
メイフラワー号の航海
※メイフラワーII号
エニカの宣伝で最も効果的だったのが、ウルトラソニック・シェルパの時計がメイフラワーII号に使用されたことでした。
メイフラワーII号は、17世紀当時のメイフラワー号のレプリカです。
1号ってのは、イギリスからアメリカに渡ったピルグリムファーザーズが乗っていた船のことです。
それを1957年に同じように再現して、同じルートでイギリスからアメリカ大陸に渡ったんですね。
1957年に、イギリスのプリマスからニューヨークへ出航し、大西洋を横断したこの船の舵にエニカは「ウルトラソニック」を取り付け、自社の時計がいかに頑丈であるかをアピールしました。
この注目的な航海時に使用されていた時計として、エニカというブランドは世間の人々の注目を獲得すること成功したのです。
エニカ スーパーダイブ
その名の通り、スーパーダイブはダイバー向けに作られたモデルです。
このケースなのですが、リューズが2つ付いている事が特徴です。
これは、EPSA社のスーパーコンプレッサーというケースを採用しており、当時では画期的な防水ケースだったんですね。
基本的にはベゼルは時計の外装に設置してありますが、こちらはインナーベゼルになっております。
なぜなら、潜水中に時計をどこかにぶつけてしまいベゼルの位置が変わってしまった場合、残りの可能な潜水時間が変わるということなので、人命に関わるからです。
よって、2時位置のリューズを回すことで時計の内側のベゼルである『インナーベゼル』を回すようになっているのです。
また、潜水中でもリューズを回しやすいように大きめのリューズが搭載されております。
4時位置にあるリューズは、通常のリューズの役割を果たします。
そして、このスーパーダイブは実際に軍用の時計としても採用されており、ポーランド海軍に採用されていました。
エニカ シェルパガイド
エニカのシェルパガイド/ @fadershan_v.watchesより
『シェルパガイド』はエニカが、世界時計として制作したモデルです。
スーパーダイブ同様2時位置のベゼルを回転させることで、タイムゾーンに応じて時間を変えることができます。
24時間表示(ワールドタイム)のインナーベゼルと、GMT機能も併せて搭載された腕時計です。
時計におけるGMT機能とは、「2つの国(都市)の時間を同時に示す機能」です。
今回の写真では、真っ赤な針が「秒針」で「赤と黒のマーブルの針」がGMT針になります。
GMT針なのですが昼夜の区別を分かりやすくするために、24時間で一周する様になっております。
時刻の読みは、外周にある「24時間目盛り」を利用すます。
スーパージェット
スーパージェットは、シェルパガイドのパイロットバージョンになります。
GMT針の形状が違うだけで、外観はほぼ一緒ですよね。
では、ここのパートではムーブメントの先頭につく「AR」について解説します。
「AR」は、Enicarの創設者であるAriste Racineの略です。
「Racine」を逆に綴ると、Enicarになるのは冒頭で説明した通りです。
これは、エニカ自社製のムーブメントであり、それまで提供を受けていたエボーシュ(ムーブメント)のサプライヤーであるアドルフ・シールドに依存しないことを可能にしました。
また、このムーブメントはエニカのクロノメーターに相当するムーブメントとなり高品質で精度が高い事も特徴です。
ですので、この2つリューズのエニカ製腕時計には、このAR1146かAR1145が搭載されているのです。
ちなみに、針が1本多く必要なGMT機能があるものがCal.AR1146で、それが必要ないのがCal.AR1145になります。
エニカ シェルパグラフ
エニカはカーレースのレーサーに、『シェルパグラフ』を着用してもらえるよう力を入れ、広報活動に力を入れていました。
その結果、その活動が実を結びレースに関連する数多くの有名な写真に、『シェルパグラフ』が写っていたことで、エニカのブランドとしての認知度が高まりました。
この時計は、他のクロノグラフモデルに3年ほど先立って作られたモデルです。
エニカの最先端の新しいモチーフも技術的な進歩も、常に時代をほんの少し先取りしているように感じられます。
エニカの時計をレーサーに着用してもらうことになったのも、他の有名ブランドが後追いして同様の宣伝を始めるよりも数年早く始めていました。
これは世界初の自動巻クロノグラフを搭載して、カーレースで有名になったホイヤーのモナコより早い宣伝広告でした。
エニカ アクアグラフ
※出典 エニカ(ENICAR)公式サイト
エニカのアクアグラフ/ @colasdamより
エニカが主力となる、ダイビング用時計としてアクアグラフを発売したのは、シェルパグラフの発表から3年後でしたが、アクアグラフは1957年には商標登録されていたので、ずっと前から計画されていた時計であるといえます。
ですので、シェルパグラフの発売の時にはすでにシリーズ化が決まってたんでしょうね。
ちなみに、防水性は300フィートでありこれは大体90mに当たります。
アクアグラフに使用されているバルジューCal.72は、有名なロレックスのデイトナでもムーブメントとして使用されていましたが、エニカは手の届きやすいように作りました。
シェルパグラフもそうなのですが、品質に対して価格が安いことが今となってもエニカの時計が求められる要員なのだと思います。
ダイバー向けの使用であることを強調したにも関わらず、アクアグラフはカーレースでシェルパグラフが築き上げた評判が功を奏し、レースでも使用されているのが見られます。
エニカ ジェットグラフ
※出典 エニカ(ENICAR)公式サイト
エニカのジェットグラフ/ @wristyourtimeより
ジェットグラフという名前の通り、この時計は世界中を飛び回る生活を送る人をターゲットとして作られました。
GMT機能を搭載しているので、同時に複数のタイムゾーンのダイアルを見ることができ、航空会社や航空会社に勤める人の間で人気が出ました。
ちなみに、このジェットグラフもEPSA社のケースを使ってるので300フィート(90m)程度の防水性がありGMT機能を搭載したバルジューCal.72の進化型であるCal.724が搭載されています。
よってこのジェットグラフはこれまで紹介してきた、腕時計の全ての技術を結集してシリーズの最後に作られた最高傑作なのです。
シェルパジェットグラフMK IVは、小売価格$125.00で発売されました。
現在となっては、エニカというヴィンテージウォッチの人気の上昇からも、当然そんな値段で購入することはできません。
近年の市場ですと、状態の良いジェットグラフは、最低でも60万円はするでしょう。
スタージュエル
エニカのスタージュエル(上)/@kimsallsより
エニカが誇るムーブメントの「スタージュエル」は非常に華やかな名前に聞こえますが、実際は歯車の中心のスタッドに、小さな宝石を使用たことから名づけられました。
エニカの書籍と写真
エニカというブランドについて、もっと知りたくなってきましたか?
それとも美しい時計が欲しくて仕方がなくなってきましたか?
2019年12月にenicar.orgのMartijn氏により「忘れられたスイスのブランド」に関する250ページの書籍が出版されています。
最後に、豪華なエニカのヴィンテージ時計の写真をたくさん投稿しているインスタグラムのアカウントをご紹介しておきます。
@romuald.kociuba
@northshorechrono(本記事に掲載する写真もお借りしました)
@sons_of_saturn
@stigmata68
@longdele
@vandervenus
まとめ
ロレックスやオメガといったブランドは、わかりやすいですしそのストーリーにも触れることは多々あります。
しかし、今日解説したエニカというブランドは時計が好きだからといって、必ずしも出会えるブランドではないと思います。
小さな会社が、自社の知名度を上げていくために試行錯誤していたのか?
また、本当に良い時計を作るためにどれだけ作り込んでいたのか?
こういったのを理解していくことで、私たちは今となっては見向きもされなくなった、本当に良い時計を手にすることができるのかもしれませんね。
この記事をきっかけに、少しでもエニカの時計に興味を持って頂けると嬉しく思います。