タグホイヤーTAG Heuerが作り出したクロノグラフの歴史

タグホイヤー・ウォッチ・カンパニー

最も有名なスイス時計のブランドの1つであるタグホイヤーは、エドワード・ホイヤー(Edouard Heuer)によってホイヤー・ウォッチ・カンパニーとして1860年、スイスのサンティミエに設立されました。同社はすぐに高い職人技術と正確な計時によって評判を得ます。1882年、ホイヤー社は独立したストップウォッチ機能を備えた懐中時計モデルによって、世界初のクロノグラフを発表しました。その5年後ホイヤー社は、「振動ピニオン機構」を備えた別のクロノグラフモデルを発表し、特許を取得しました。今日、多くの時計メーカーによって機械式クロノグラフの生産に使用されているムーブメントです。ピニオンとは簡単に言うと、クロノグラフまたはストップウォッチのメカニズムを通常の計時歯車列から切り離したり連結したりするものです。ピニオンは複雑なシステムにとって代わり、製造・組立・調整・サービスを簡素化させました。そして低コストでの機械式クロノグラフの生産を可能にしたのです。

 

クロノグラフとマイクログラフ

ホイヤー社は1911年、車や飛行機での移動の時間と距離を測定する初のクロノグラフ、「ダッシュボード・クロノグラフ」で特許を取得し、その3年後には、初めてのクロノグラフ腕時計を発表しました。 1916年、ホイヤー社は100分の1秒単位で計測できる世界初の機械式ストップウオッチ「マイクログラフ」をデビューさせました。これを達成するためのムーブメントの速さは360,000vphでした。通常私たちが「速い」と感じるムーブメントが36,000vphなので、その10倍ということです。マイクログラフはスポーツ界の計時に革命を起こし、1920年代にはアントワープ、パリ、アムステルダムにおけるオリンピックで正式なストップウォッチとして採用されました。

初めて宇宙へ行った腕時計

ホイヤー社の時計は、初めて宇宙へ行ったスイス製時計でもありました。1961年5月、ジョンF・ケネディー大統領は人を月面着陸させ、10年後には安全に地球に戻すという目標を発表しました。 その目標への第一歩は、人を軌道に乗せることでした。1962年2月20日、ジョン・グレンがマーキュリー計画における"Friendship 7"ミッションを達成しましたが、彼は宇宙服の上に特別なストラップを使用してホイヤー2915Aという時計を固定し、地球を3周しました。その時計はミッションの予備タイマーとして機能し、宇宙で使用されました。今日、この時計はワシントンDCの国立航空宇宙博物館で保管されています。

 

レース用腕時計

1958年まで、ホイヤー社はストップウォッチと計測機器の生産におけるリーディングカンパニーであるとともに、自動車レーサーや時計愛好家たちにとって最高の腕時計でもありました。フォーミュラ1とインディアナポリス500のために、特別版クロノグラフも発表されました。1971年には、フェラーリ社がチーム・フェラーリの公式タイムキーパーとしてホイヤー社を選んでいます。また、カーレースに関連する最も有名なモデルの一つが「カレラ」です。この名前は、1950年から1954年にかけてメキシコの公道で行われた危険なレースであるCarrera Panamericanaに由来します。

クロノグラフの競争

1960年代、様々な時計会社が自動巻きクロノグラフの必要性を感じるようになり、最初に市場に参入しようと競って開発に着手します。競合他社の一つはセイコー、もう一つはゼニスでした。ホイヤーは腕時計メーカーのブライトリングとハミルトンと共同で初のスイス製自動クロノグラフを製作し、1969年3月にバーゼルの時計ショーで発表しました。その時に彼らは何百もの腕時計を提示し、連続生産と工業生産の能力を証明したのです。その後ホイヤー社はキャリバー11というムーブメントの開発に着手し、自動巻きクロノグラフ・キャリバーの最初の開発者として歴史に名を馳せることになるのです。

 

モナコとジャック・ホイヤー

ホイヤー社のクロノグラフ「モナコ」は、俳優のスティーブ・マックイーンが映画「ル・マン」で着用していたことで世界的評価を得ることになり、その後オートレースのブランドとして地位を固めました。マックイーンはその死後においてもなお、ブランドの象徴であり続けています。

1962年、創業者の3代目としてジャック・ホイヤー氏が会社を継ぎ、その後1985年にTAGグループに買収されるまで彼が会社を率いました。彼はとりわけ、カレラの開発とキャリバー11の開発プログラムを監督しました。スティーブ・マックイーンが映画「ル・マン」でモナコを着用した時、ジャックが会社を管理していました。1971年から1979年にかけてホイヤー社がフォーミュラ1レースの公式タイマーを務めていた間も、彼が会社を統括していました。

ホイヤー社は1985年、フォーミュラ1のセラミックターボチャージャーメーカーであるTechniques d'Avant Garde(TAG)に買収されます。新たに設立された会社タグホイヤーはすぐに、ターボチャージャーで使用されるセラミックで作られたケースを特徴とする腕時計のコレクションを発表しています。ジャック・ホイヤーは同年、会社を去りますが、2001年に名誉会長として戻り、タグホイヤー社は新たな高みに達します。その後ジャックは2013年11月18日、81歳の誕生日の前日にタグホイヤー社を引退します。なぜその日を選んだのか質問されると、彼は80歳を超えてまでは働かないと自分に約束したからだと答えました。彼は紳士として誰からも愛され、産業界の伝説となっています。

モナコV4の開発

「モナコ」は充分有名なモデルでしたが、2004年にバーゼル国際時計見本市で発表したコンセプト・モデル「モナコV4」でタグホイヤー社は新たなレベルに到達しました。V4の開発は簡単なものではありませんでした。デザインを完璧にするため、発表から実に5年の期間をかけ、2009年にモナコで開催されたチャリティーオークションにて最初のV4が販売されました。それ以降、いくつかの限定版が完売しています。

 

モナコV4は、伝統的な時計製造の型を破った大きなチャレンジであることを証明しました。通常のギアトレインや歯車を備えたホイールの代わりにベルト駆動を用いており、そのデザインは自動車のエンジンから着想を得ています。多くの人々がうまくいかないだろうと思っていましたが、タグホイヤー社は新しく開発した能力の証として問題を解決したのですが、その大部分はガイ・セモンという男性の功績によるものでした。

超高速の計時

ガイ・セモンは技術者であり、パイロットであり、物理学者でもありました。彼がタグホイヤー社に加わることで世界が変わったのです。V4の挑戦が終わった後、彼の仕事はマイクログラフ(100分の1秒を計測する360,000vph)、マイクロタイマー(1000分の1秒を計測する3,600,000vph)、マイクロガーダー(2000分の1秒を計測する7,200,000vph)を連続的に開発することでした。

セモンは「デュアル・アーキテクチャー」と呼ばれるムーブメントを設計することによってこれらの超高速レートを達成しました。各ムーブメントには2つの異なるぜんまいバレルが付いており、それぞれ異なるエスケープメントによって調整されているギアトレインを、異なる振動数で動かします。遅い方は定期的な計時を行い、速い方はクロノグラフをコントロールします。マイクロガーダーはさらに一歩進み、従来のエスケープメントの代わりに3つの小型で高速な振動ブレードに置き換えています。マイクロガーダーの中央にあるセカンド針が1秒間に20回回転することを考えれば、どのくらい速いかが想像できるでしょう。セモンは機械式クロノグラフの開発において、新しい時代の先駆けとなったのです。

タグホイヤーは現在も時計産業を支える立役者であり、アクアレーサーやフォーミュラ1、モナコ、カレラといった時計は世界で最も人気のあるシリーズとなっています。有名な芸能人やスポーツ選手らが、ブランドのイメージ大使を務めています。

 

<年表>

1860年 エドワード・ホイヤーがスイスのサンティミエで時計製造会社を設立

1882 年 最初のクロノグラフで特許を取得

1887年 「振動ピニオン機構」で特許を取得

1911 年 最初のダッシュボードクロノグラフを発表

1916 年 100分の1秒を計測する「マイクログラフ」を発明

1920年代 アントワープ、パリ、アムステルダムのオリンピックで公式タイムキーパーを務める

1933 年 カーレース用のダッシュボードストップウォッチ「オータヴィア」を発表

1950年 クロノグラフと潮の満ち引きを表示する腕時計「マレオグラフ」を発表

1964年 クロノグラフ腕時計「カレラ」を発表

1965年 1000分の1秒を計測する「マイクロタイマー」で特許取得

1969年 マイクロローター搭載の初の自動クロノグラフ「クロノマチック」ならびに「モナコ」を発表

1971 年から1979年 フォーミュラ1レースでの公式タイムキーパーを務める

1975年 世界初のクォーツ式クロノグラフ腕時計「クロノスプリット」を発表

1985年 TAGグループに買収され、ホイヤー社からタグホイヤー社に改名