高技術・高性能クロノグラフ ミネルバウォッチ『Minerva』の時計歴史解説
高技術・高性能クロノグラフ ミネルバウォッチ『Minerva』の歴史解説
ミネルバウォッチの歴史について、動画でご覧になる方はこちらから↓
ミネルバという会社名は、ヴィンテージウォッチが好きな方であればそんなの知ってるよ!
だっていい時計だもん!
となると思うんですが、しかしミネルバってどんな歴史があって今どうなってるのか?というのを知ってる方は、だいぶ少ないのではないでしょうか?
今日はですね、そんなミネルバの知られざる歴史とその魅力について解説していきますので、どうか最後までお付き合いください。
目次はこのようになっております。
1.モンブランへの統合まで
2.ミネルバの歴史
3.自社製ムーブメントの開発へ
4.「ロベール・フレール・ヴィルレ社」からミネルバへ
5.Cal.48 ピタゴラスの開発
6.クオーツショックからモンブランに買収されるまでの流れ
モンブランへの統合まで
まず最初に、現在どうなってるのか?ということについて解説します。
2006年10月、スイスの高級品グループであるリシュモンは、ミネルバ時計工房を買収し、既存のマニュファクチュールノウハウを獲得しました。
私のイメージではリシュモングループは、どっちかっていうとブランドネームで勝負をかけるグループと思ってたので、このようにちゃんとムーブメント会社を買収したということは、中身もちゃんとしてるんだろうなぁと見直すきっかけになった出来事です。
ちなみに、モンブランはご存知の通り『万年筆』のブランドですが1980年代にダンヒルに買収されて、1993年にダンヒルがリシュモングループに入っています。
ここら辺から、モンブランは万年筆のブランドから時計、ジュエリー、革製品、フレグランスなど高級宝飾品を扱うブランドに変わっていきます。
そして、その中でも時計に力を入れて行きたったのでしょう。
要するに、リシュモングループは『モンブランと言えば時計ブランド』として認知して貰えるよう、更にブランドネームを強固にするために、その下にミネルバを入れたということです。
レマニアが、ブレゲの下に入ってブレゲのブランドネームを、強化させたのと同じですね。
以来、ミネルバはモンブランの一部門となり、「ミネルバ高級時計研究所」という名称で運営されています。
この研究所は、古典的な高級時計製造と伝統技術、特殊な複雑機構を維持する目的で1902年以来、ミネルバの本部として使用されていた施設を改修し、そのまま使っています。
※ヴィルレにあるミネルバ高級時計研究所
このように、モンブランは160年続いたミネルバの優れたマニュファクチュールとしての素晴らしい遺産を受け継ぎ、歴史的な機能、機構、デザインからインスピレーションを得て、伝統を永続させることに成功したのです。
この買収の成果の1つが、ミネルバとモンブランのパートナーシップによる「コレクション ヴィルレ1858」の生産だったんですね。
ではここからは、そんなミネルバの歴史を紐解いて行きましょう。
ミネルバの歴史
その歴史は、1858年にシャルルとヒッポリット・ロベール兄弟がジュラ山脈のヴィルレで創業した「H. & C. Robert」社を設立したことに始まります。
その後、シャルルだけが残り、「C. Robert」社となり、1878年に息子のチャールズとジョルジュ、そして後にイワン・ロバート(1840-1912)が会社の指導者となり、再び「Robert Frères Villeret/ロベール・フレール・ヴィルレ」へと社名が変わりました。
この時に、裏蓋やムーブメントに刻印されている、矢印の新しいロゴが導入されました。
ですので、これは私の考察なのですが、モンブランの『ヴィルレ 1858』ってのは、古典回帰を連想させるためにミネルバの創業した年と、その地域名をつけられたのだと思います。
最初から、自社でムーブメントを作れていたわけではなく、当初は懐中時計を製造しエタブリスールとして、フォンテンメロン(FHF)製ムーブメントを使って製造していました。
丁寧な手仕事によるミネルバ社の時計の品質は高く、1889年のアントワープ万国博覧会とパリ万国博覧会に参加したどちらの展示会でも、同社の時計はメダルを獲得しています。
その結果、様々なブランド登録を行いそれらのほとんどは、今は見つけることができませんが、「メルクール」「アリアナ」「トロピック」名の時計も販売していました。
自社製ムーブメントの開発へ
1895年、「ロベール・フレール・ヴィルレ」は息子のチャールズとジョルジュが代表として、経営されていましたがこの人の代の時にミネルバは躍進し、自社製のムーブメントと、ニッケルと銀製の懐中時計ケースの生産を開始しました。
ミネルバという会社は、そこまで大きな会社ではなかったので、そのような中小企業が自社でムーブメントを作り出すことができたというのは、非常に驚くべきことです。
そして、1905年になると冒頭で説明した「ミネルバ高級時計研究所」の場所に本社を移し、本格的にムーブメントを作っていくこととなるのです。
1908年、「ロベール・フレール・ヴィルレ社」は自社でクロノグラフとストップウォッチの製造を開始し、初の自社製ムーブメントCal.19-9CHを発表しました。
他のミネルバ製クロノグラフと同様に、このモデルはシンプルな2レジスターでありクロノグラフの時間積算計が無く、秒積算計と分積算計のみが搭載されていました。
どの時計ブランドもそうなのですが、初期の頃はワンプッシュが多くおよそ100年前に作られた時計と言えども、今の私たちが見てもめちゃくちゃかっこいいですよね👍
様々なブランドを展開していた、ロベール社でしたが「ミネルバ」を最高級品に位置づけます。
ミネルバブランドを中心に、その精度は世界的に認められライバル会社を抑え、クロノグラフやクロノメーターウォッチ製造のトップスペシャリストに入ることになります。
1916年には1/100秒の精度で時間を計測できるようになり、その機械式ストップウォッチは、現代のモーターレースの進化に欠かせない存在となりました。
1933年には、新型ムーブメントであるCal.13-20CHを搭載されたクロノグラフが発売されます。
私たちが一般的に見たり、手にしたりできるのは大体こちらだと思います。
ブレゲひげゼンマイと17個の受け石を用いたコラムホイール式の高級クロノグラフムーブメントであり、実はこのムーブメントはあのクロノマチック開発の1社でもある、デュボア・デプラ社と共同で開発された、相当力の入ってるものなのです。
1923年に最初に製造されたこの時計は、1940年頃に30分または45分の積算計を備えた、2プッシャーのデザインに変更されるのですが、その前はワンプッシュクロノグラフとして設計され販売されていました。
このキャリバーは、当時としては非常に深く開発されており、数十年にわたり生産が続けられました。
ミネルバ社製ムーブメントが評価されるのは、こういった部分にあるのでしょう。
「ロベール・フレール・ヴィルレ社」からミネルバへ
この時点で、複数あったブランドは大体ミネルバだけになっておりこのミネルバ・ブランド製品の成功を考慮し、1929年に会社名を「ミネルバ SA, Villeret/ミネルバ SA ヴィルレ」へと変更しました。
ですので、私たちは普段ミネルバと呼んでるこの会社名は、意外にも創業してからしばらく経ってから名付けられたものだったんですね。
1934年、創業者の息子であったチャールズが引退したことによって、1921年からミネルバに勤務していた時計技師ジャック・ペロと機械技師シャルル・ハウゼナーがミネルバ社の新しいオーナーとなります。
その後、1936年にドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘンで開催された冬季オリンピックスキー競技ではストップウォッチとクロノグラフが選ばれ公式計器を担当し、いくつかの新しいムーブメントを発表するなど、新経営者のリーダーシップによって成功がもたらされました。
Cal.48の開発
1943年、ジャック・ペロの甥であるアンドレ・フレイは、「ピタゴラス」と呼ばれる腕時計のモデルに使用される優れたムーブメント、Cal.48を設計しました。
ミネルバ・キャリバー10-48(提供:ornatus-mundi.ch)
ピタゴラスのキャリバー10-48と、それを搭載したモデル
ミネルバ社製Cal.48は、24.0mmのシンプルなムーブメントにひねりを加えたものです。
技術的に「特別」なものはなく、注目すべきはブリッジのデザインで、ブリッジの形状はすべて直線のみを用いた明快なレイアウトが特徴で、個々の寸法は黄金比の法則に則っています。
このムーブメントには、センターセコンドバージョンであるCal.49も用意されました。
その後、数十年にわたり、このムーブメントは生産され続けたのですが、改良が加えられることはほとんどなく、発売から数年後にスワンネック緩急針、コート・ド・ジュネーブ装飾やペルラージュ仕上げがオプションで選べるようになったくらいです。
ミネルバはこのムーブメントを、エレガントでありつつも、リーズナブルな価格の時計に搭載して販売しました。
カタログによると、1400スイスフラン(日本円で20万円程度)から販売されていたみたいです。
このように、黄金比を用いてデザインした動機は、営利を最優先にすることなく、ビジョンに沿ったより良い製品を作るという純粋な思いからだったのでしょう。
クオーツショックからモンブランよりミネルバ買収まで
1970年代には1618社あったスイスの時計メーカーは、クオーツショックの煽りを受けて1984年には632社にまで減少しました。
ミネルバ社はと言いますと、機械式クロノグラフの品質が認められていた為、生き残る力を備えていました。
バランスホイールと、ヒゲゼンマイを自社で製造できる他社では真似できない能力を持ち、医者などのプロフェッショナルを顧客にできるクロノグラフを製造することで、ミネルバは専門家や時計愛好家の間で、その名声を維持することができました。
しかし、時間が経てば経つほどクオーツの波に逆らうことができず、2000年にフレイ家(Cal.48を生み出した子孫)は、イタリアの金融家エミリオ・グヌッティが率いる新しいパートナーに会社を売却しました。
新会社は、機械設備への投資とともに、新社長のベッペ・メナルドと、才能があり尊敬を集める時計師デメトリオ・カビドゥを中心としたチームを強化し、現在もヴィルレのモンブラン工場の技術部長を務めています。
高品質なマニュファクチュールの伝統を受け継ぎ、2003年にミネルバは4つの新キャリバーを発表しました。
2つのクロノグラフと、2つの3針時計キャリバーで、全て手巻き式です。
今回の動画では、それぞれ1つづつ紹介します。
ミネルバCal. 62-00(アワー、ミニッツ、スモールセコンド)は、旧キャリバー48をリデザインしたもので、ミネルバのムーブメントによく見られるカーブしたブリッジのデザインが施されています。
直径:24mm。部品点数:162点。
ミネルバ・キャリバーCal. 13-21(時、分、スモールセコンド、モノプッシャークロノグラフ)は、オリジナルのキャリバー13-20を進化させたもので初期の13-20スタイルのワンプッシュが採用されています。直径:29.5mm 部品点数:239個
ミネルバ・キャリバー 16-15(時、分、スモールセコンド)。直径:38.4mm。部品点数:158点。
ミネルバ・キャリバー16-29(アワー、ミニッツ、スモールセコンド)。16-29(アワー、ミニッツ、スモールセコンド、モノプッシャークロノグラフ)は、1929年に製作されたポケットウォッチ、キャリバー17-29から直接インスピレーションを得たものである。
2005年、ミネルバはトゥールビヨン・ミステリユーズを発表しました。
このモデルは手巻きキャリバー65-60で、20mmと非常に大きなトゥールビヨンケージ、280個の手仕上げ部品、100時間のパワーリザーブを備えています。
47mmのローズゴールド製ケースは、ベゼルが360度にわたって凸型から凹型に変化する珍しい形状をしています。
6時位置の「ミステリアス」な文字盤には、時針と分針にサファイアディスクを使用し、時刻を表示します。
バックケースに刻まれた「D.C.」は、この時計を製作したデメトリオ・カビドゥ氏へのオマージュである。
冒頭で述べたように、2006年10月、スイスの高級品グループであるリシュモンは、ミネルバ時計製造会社を買収し、優れた製造ノウハウを確保することに成功しました。
この買収の結果、ミネルバとモンブランはパートナーシップを結び、ミネルバはモンブランの一部門となり、ミネルバ高級時計研究所(Institut Minerva de Recherche en Haute Horlogerie)の名称が与えられました。
数年後の2010年、モンブランはミネルバ研究所で開発された最初の時計、メタモルフォシスを発表しました。
メタモルフォーゼは、そのユニークな2つの機能とフェイスに由来し、スライドを上下に動かすことで単一の時刻表示からクロノグラフに変化する。
このモデルは、2014年にメタモルフォーゼIIが登場しました(こちらでご紹介しています)。
まとめ
今日、ヴィルレのモンブラン・マニュファクチュールでは、ミネルバの遺産にインスパイアされた「コレクション・ヴィルレ1858」が生産されており、その大部分は今でも手作業で丁寧に行われ伝統的な時計製造技術を、厳格に継承しています。
同時に、ミネルバ高級時計研究所は、革新的な技術やコンセプトを研究し、時計製造技術をより深めていくために、クロノグラフの専門技術を守り、育成するための保護施設としての役割を担っています。
私の個人的な感想なのですが、グループも違いますしそんなのは無理な話なのを前提に話すと、同じドイツのジン(SINN)の下に入ってても良かったんじゃないかぁって思います。
SINNは、どっちかっていうとパイロットとかミリタリーの傾向が強いですが、ミネルバもドイツ陸軍に時計を納品してたし、パイロット向けのクロノグラフ腕時計も作っていましたからね。
こういった時計も出しているのですが、モンブランではなくSINNの名前が入って出ていれば、ブランドのイメージを崩さずに、SINNがさらに強いブランドになってたんじゃないかなぁ、なんて1人で思います。