パテックフィリップ&ティファニーの伝統的な腕時計の歴史

ティファニーは日本人であれば、ほとんどの人が知ってると思いますしパテックフィリップも時計に少しでも興味がある方は、知ってるブランドだと思います。

どちらにも共通してるところは、超高級ブランドであるということです。

ティファニーの上には、ヴィトンやエルメスがありますが腕時計では、それらを凌駕する力を持つものがティファニーには存在します。

 

それが、『パテックフィリップ』とのダブルネームの時計です。

この記事では、そんな ティファニーとパテックフィリップがどのようにして、結びつきこのダブルネームの時計が、どれくらいの価値があるのかをティファニーの歴史を中心に解説して参ります。

 

この記事を最後までご覧頂くことで、ただ単にブランド品をつけてるわけではなく『私はなんでこのブランドを身に付けているのか!』というが説明できるようになりますので、どうか最後までお付き合いください。

 

 

ティファニーの歴史

チャールズ・ルイス・ティファニー(Charles_Lewis_Tiffany)

ティファニー(創立当初はTiffany, Young & Ellisで、現在はTiffany & Co.)の創業者は『チャールズ・ルイス・ティファニー』という人物で、1838年にアメリカ・ニューヨークにて「文具小物店」として創立し、1847年からジュエリー・時計も販売し始めました。

なぜ、こういった宝飾品を扱うようになったかというと、当時は欧州全体が二月革命により情勢不安が続いていました。

そんな混乱した状況の中で、欧州のセレブリティからの宝石・貴金属の買い付け増加が追い風となり、上質な銀製品やジュエリーを扱うメゾンへと成長していきました。

tiffany young & fills 広告

こういったティファニー社の好景気を追い風に、1853年にはブロードウェイ550番地にあるティファニー本店の正面に、アトラス(ギリシア神話に登場する神)が時計を掲げている約2.7mの銅像が設置されました。

これはニューヨークで初めて登場した公共時計の一つで、すぐに有名なランドマークとなり、ニューヨークの人々はこの時計を基準として自分の時刻を合わせるようになりました。

ニューヨークの象徴的な時計が、このアトラス像でありそれがティファニーの成功のシンボルだったんですね。

このことから、ティファニー社がいかに早い段階で時計に力を入れていたのかが分かりますよね。

ティファニー ブロードウェイ 550番地 本店

※1850年代のブロードウェイ550番地のティファニーの正面玄関上に飾られたアトラスギリシア神話に登場する神時計

 

ティファニー本店の移転に伴い、アトラス像も場所を移していきました。

1870年代はユニオンスクエア、1905年にはマンハッタンの5番街401番地、そして1940年からは5番街727番地の本店の正面玄関の真上に飾られました。

花こう岩と大理石で建てられた有名な建物の正面玄関に、このアトラス像の時計が飾られていたので、広告を出さずともティファニーは自然と有名になっていきました。

ティファニー ユニオンスクエア

※1870年代に移転したユニオンスクエアのティファニー本店正面に飾られたアトラス時計

5番街 ティファニー

※1940年代に現在の場所である5番街57丁目に移転したティファニー本店とアトラス時計

このティファニーを象徴する時計を称賛して、1980年代にアトラスという名の腕時計が発売されました。

この時計は、時間を示すローマ数字の部分だけに、艶と高さを出して浮彫りにたデザインです。

1995年には同じローマ数字をモチーフとしたデザインで、男性用と女性用の時計がともに作られ、アトラスのコレクションが出そろいました。

ティファニー アトラス

 

パテックフィリップとの契約

1854年に、ティファニーはパテックフィリップと契約を結び、アメリカで初めてパテックフィリップの時計を取り扱う販売店となりました。

 

数年後の1868年に、スポーツイベントに加えて工学や科学分野での使用を目的とした、スプリットセコンドのティファニータイマーを発売しました。

これはアメリカで、初のクロノグラフであったとされています。

ティファニー タイマー

この頃、ティファニーは自社でも時計の製造を開始していました。

ティファニーの洗練された時計に対する需要は、どんどん伸びていったので1874年には、スイス・ジュネーブのコルナヴァンに自社の工場を設立しました。

ティファニー ジェノバ 工場

この工場は特に、高度な技術での製造が可能であったため、1時間おきに加え15分おきにも時刻を知らせてくれる金色の懐中時計や、ダイヤモンドを散りばめたラペルウォッチ、またエナメルの文字盤に花のモチーフと、金を細かく掘った装飾のついた時計の生産に特化していました。

 よって、この頃から時計全体のデザインはニューヨーク、製造はスイスという体制が確立したのでした。

ティファニー社が持っていたスイスの工場は、後にパテックフィリップに売却されましたが、パテックフィリップがその買い取った工場で、ティファニー向けのムーブメントの生産を続けています。

ティファニー 懐中時計 金

※ミニッツリピーター、スプリットセコンド、エナメルの文字盤が搭載された1884年頃のティファニーのローズゴールドの懐中時計

 

長年に渡ってティファニーは、時計の製造に関わる数多くの重要な技術を他社に先駆けて開発してきました。

そして、ティファニーが時計の改良を進めていく過程で、初めて特許を取得したのが1875年でした。

時計の針の取り付けや、アンクル脱進機、時刻の調整に関する特許技術です。

この頃、ティファニー の時計はその素晴らしさが認められ、いくつもの賞を受賞していました。

例えば1889年のパリ万国博覧会では、チーフデザイナーのポールディング・ファーナムがエナメルとダイヤモンドを施して製作したアメリカン ワイルドローズ ラペル ウォッチが賞を受賞しました。

また1893年のシカゴ万博博覧会でも、時計のケースと天文時計がメダルを獲得しました。

ティファニー ラペルウォッチ

ティファニー ラペルウォッチ

※1989年発売のティファニーのラペルウォッチ

 

ティファニーの丁寧なカスタマーサポート

19世紀の終わりには、ティファニーは1000名を超える従業員を抱え、ロンドン、パリ、ジュネーブに支店を持つ、世界でも有名なジュエラーかつ時計メーカーとなりました。

ティファニーは、常にカスタマーサービスにとても注力していました。

丁寧なカスタマーサポートの一例として挙げられる出来事があります。

元々、北米大陸では各地域ごとに、それぞれ無数の現地時刻を採用していたため混乱が生じていました。

この状況に終止符を打つため、アメリカとカナダの鉄道会社が北米大陸を4つのタイムゾーンに分けるという決断を下した後、1883年に標準時刻帯が導入されました。

これを受けて、ティファニーのカスタマーサービスには、それまでに時計を購入した顧客によって週に400を超える数の時計が持ち込まれましたが、この膨大な数にも対応していました。

ティファニー ワークショップ

 

針に夜光塗料であるラジウムを使用

1903年には、ウィリアム・J・八マーによるラジウムと亜鉛硫化物を混ぜる研究を基に、宝石鑑定士チーフであったジョージ・クンツが開発した緑色の発行塗料が特許を取得しました。

クンツはラジウム・バリウム炭酸塩を硫化亜鉛と亜麻仁油と混ぜることで、特殊な塗料を開発することに成功しました。

ティファニー ジョージクンツ

※ジョージ・クンツと、針と数字に発光塗料を使用した初期の懐中時計

 

この塗料は、暗い場所でも時間が読みやすいよう、文字盤の数字と針に使われ始めました。

当時はまだ放射線の被ばくによる影響が明らかになっていなかったので、ラジウムは食品、歯磨き粉、化粧品を含む多くの製品に使われていました。

後に、ラジウムの代わりに安全な物質が使用されるようになりましたが、ラジウムを使った発光塗料の開発が、時計産業に影響を及ぼしたことは間違いありません。

20世紀初めには、時計の小型化にも大きな進歩が見られました。

特に1920年代から1930年代のアールデコの時代には、時計の小型化によって、ティファニーがデザインした、女性向けの時計は入手困難になるほど人気が高まりました。

この頃以降に作られた時計や腕時計は、現在でもティファニーのデザインのインスピレーションのもととなっています。

ティファニー アールデコ

※1920年代のアールデコの時計(左)と、現在のティファニーのカクテルコレクションのアールデコ時計(右)

ティファニー パースウォッチ イーストウエスト

※1940年代のティファニーの折り畳み式トラベル時計(左)と、そのインスピレーションを受けて2015年に発売されたイーストウエストコレクション(右)

ティファニーの時計の歴史において、特別な位置を占めている時計があります。

それは1945年にアメリカのフランクリン・D・ルーズベルト大統領の誕生日に送られたゴールド カレンダー ウォッチです。

ティファニー ルーズベルト大統領 時計

※1945年にフランクリン・D・ルーズベルト大統領に贈られたティファニーのカレンダー ウォッチ

この時計の裏蓋には「フランクリン・デラノ・ルーズベルト;忠誠と敬意と愛情を込めて」と刻まれています。

ルーズベルト大統領は、歴史的も有名な1945年のヤルタ会談でこの時計を着用していました。

ティファニー ルーズベルト大統領 裏蓋

それから70年が経ち、この時計から着想を得て新たにCT60コレクションが完成しました。

CT60という名称のCTとはチャールズ・ティファニーの頭文字で、60は「ビッグアップル」と呼ばれるニューヨークの街において、最先端な生活様式の中で可能性に満ちた60秒を刻むことを象徴する数字です。

 ティファニー CT60

CT60コレクションを機に、ティファニーはスイスにウォッチカンパニーを設立しました。

CT60では、製造と組み立ての全工程がスイスで完結するようになりました。

時計の文字盤に記されたティファニーの社名の下に「ニューヨーク」と書かれていることからも分かるように、ニューヨークのインスピレーションをはっきりと残しながらも、スイスの伝統的な時計技術を活かした精巧な製造と仕上げが実現しました。

ファインジュエリーの美しいデザインと、妥協のないスイスの職人技が組み合わさったことで、女性向けのメトロコレクションでは、ティファニーがこれまで築き上げてきた、ダイアモンドを扱うブランドとしての価値が確固たるものとなりました。

メトロコレクションの時計は、リューズにラウンドカットの輝くダイアモンドが乗っており、ダイアモンドは一点ずつシリアルナンバーが割り当てられているので、持ち主にとって自分だけの時計だと感じることができます。

ティファニー メトロ 

 

 まとめ

 

よって、ティファニーとパテックフィリップの特別な関係性は現在まで続いており、ティファニーの文字盤を持ったパテックフィリップの時計は、世界中のオークションで皆が探し求めています。