タバン&シーマ ほとんどの人が知らないマイナー時計ブランド凄み解説
シーマの時計を知っている方は、もはやヴィンテージウォッチ愛好家と言っていいでしょう。
シーマは、ヴィンテージウォッチコレクターにとっては、ダーティダースにも採用されている時計なので、知っている人は知ってるブランドだと思います。
しかし、タバンを知ってる人はなかなかいないのではないでしょうか?
今日はそのシーマとタバンの関係について、歴史とそれらの時計の魅力を解説して参ります。
この動画を最後までご覧いただくことで、シーマとタバンがどれほど素晴らしいブランドなのか?というのが分かると思いますので、是非とも最後までご覧くださいませ(*´-`)
それでは早速やって参りましょう。
動画を5つのパートに分けると
1.タバンの歴史
2.シュオブ・ブラザーズと販売契約
3.シーマ(CYMA)の誕生
4.潜水艦司令官向けサブマリンウォッチ製作1917年
5.ポール・ペレットのヒゲゼンマイ
6.タバン製サブマリン・リストウォッチ
最後に防水時計について私の考察
で締めくくらせて頂きます。
それでは早速やって参りましょう。
タバン(Tavannes Watch Co)の歴史
タバンは正式には、タヴァンヌという風に発音するんですが日本ではタバンで通ってるので、今回の動画でもタバンで統一して進めて参りますね。
時計職人のアンリ・フレデリック・サンドスは、1870年にル・ロックルにて彼の名を使った時計会社、『アンリ・サンドス・アンド・カンパニー』を設立しました。
その後、彼は1891年に、スイス・ベルンの小さな町『タバン』に新しく会社を設立しました。
この会社名は、その地域名をそのまま取り入れたものであり、この会社がTavannes WatchCo. SAと名付けられ、時計、時計製造機械、およびその他の特殊な機械を製造していました。
このタバンという会社は、1966年まで続き一度倒産してしまいますが、タバンのブランドと歴史に関心がある人々による共同経営のパートナーシップにより、2008年に復活を遂げました。
(オーナーの1人にはフローリン・ニクレスクという方がいて、作業場までタバンのサブマリンという時計を見に来て、サブマリンについてインタビューもしていきました。)
よくあるオーナーが変わった事による、時計の形が大きく変わってしまう現象に陥ってるようにも見えますが、オーナーが本当にタバンに興味を持ってる人たちが引き継いでるので、今後は良きタバンを復活させてくれると思います。
シュオブ・ブラザーズと販売契約
ではここで、シーマが誕生するキーマンとなるシュオブ兄弟について解説して参ります。
シュオブフレール(シュオブブラザーズ)は1862年にラ・ショー・ド・フォンにて『ジョセフ・シュオブ』と『セオドア・シュオブ』が時計の組み立てを担う会社として設立しました。
シュオブフレールはエボーシュ(未完成のムーブメント)、ケース、文字盤、針を仕入れて時計を組み立てていました。
よくあるスイスの組み立て屋さんだったんですね。
この会社は、長年かけて数多くのブランド名を商標登録し、海外市場での販売ネットワークを拡大して時計を販売していました。
さらに1874年には、アメリカでの販売代理権も獲得しました。
このように、シュオブフレールは時計を売る力を持っていたんですね。
それを知っていた、タバンはすぐにシュオブ・フレール(シュオブブラザーズ)と販売契約を結びました。
これは、タバンとシュオブフレールが合併したということではありません。
2社はそれぞれ独立した別の会社のままで、自由度の高い道を選びました。
タバン時計会社は、時計に加えて生産用の機械を他社に販売することができ、シュオーブフレールはタバンだけでなく、他のブランド名の時計も販売し続けることができたからです。
合併までしてしまうと、それぞれの会社の別のキャッシュポイントを失う恐れがあったから合併まではしなかったんですね。
シーマ(CYMA)の誕生
このように販売契約を結んだ2社ですが、シュオブフレールのネットワークで販売したタバンの時計に、「シーマ」というブランド名を当て販売されることとなりました。
シーマという名称は、フランス語と同じラテン語が語源で、ラテン語で『頂上』や『王冠』を意味します。
多くのタバン製腕時計はシーマ(CYMA)ブランドを使用して販売され、1900年から1950年代にかけて急速に増加しました。
シーマ(タバン)は、他社からムーブメントを仕入れて、自社の名前が書かれた文字盤や、ケースを組み付けるような『組み立ての会社』ではなく、ムーブメントから製造を行っている会社でした。
このようにシーマ(タバン)は1950年代までの話なのですが、ムーブメントのほとんどを自社で生産していた数少ない1から時計を作ることが出来るスイスのメーカーでした。
今の代表的なブランドとして『ブライトリング』や『ホイヤー』がありますがこれらも実は、自社でムーブメントを作ることができなかったので、実質的には『組み立て会社』だったと言えるでしょう。
この頃の、タバンは世界で4番目に大きな時計メーカーであり、3,000万本以上の時計を売り上げたと記録が残っています。
当時、彼らは3,000人以上の熟練した時計職人を雇い、1日あたり約4,000個の時計を製造していました。
世界で4番目に大きな会社ということなので、いかに巨大カンパニーだったのかが分かりますし、ダーティーダースに採用されるのも、頷ける実力ですよね。
しかし1966年に、シーマ(タバン)は全ての生産を終了し、ブランド名の使用権をクロノス・ホールディングスに売却しました。
潜水艦司令官向けサブマリンウォッチ製作1917年
第一次世界大戦中、タバン社は2隻の英国潜水司令官から、潜水士用の時計の製造を依頼されます。
それは以下の条件を満たした時計を作ってほしいという依頼でした。
(1)防水性があること: 潜水艦が水面に浮いている時でも、甲板は常に水に晒されるためです。
(2)磁性を持たないこと: 潜水艦は水中で電気で動くので、狭い潜水艦の中では磁性を持った部材を使った時計は影響を受けてしまうことが考えられます。
(3)潜水艦においては、通常のテンプだと温度変化により膨張率が変わり正しく動作しないので、テンプには温度変化による膨張や縮小ができる限り少ない素材を使用すること。膨張や縮小が少なく、温度変化の影響を受けにくい、鉄とニッケルの合金を採用することで、この条件は満たされます。
(4)文字盤が常に読みやすいこと: 通常の黄色の発光塗料の文字は、白い文字盤と合わせると、月明かりや薄暗い時間帯、また弱い電気の灯りでは読みにくいので、文字盤を黒にすることで、どのような明かりの中でも正確に時間を読みやすくなります。
これらの条件全てを満たし、1917年にタバンが製造した最初の『防水腕時計』が誕生したのです。
ダーティダースが1940年代の話なので、それよりも随分と前から軍とのパイプがあり、軍用時計に必要な機能をある程度知っていたのでしょうね。
ではここからは、先ほど出てきたヒゲゼンマイについてもう少し詳しく見てみましょう。
ポール・ペレットのヒゲゼンマイ
(ポール・ペレットのニッケル鋼合金のヒゲゼンマイに関する1901年の広告)
潜水艦で使用する際に温度の上昇に対して、ヒゲゼンマイが膨張することによって時間のズレが生じることが問題でした。
そんな中、ポール・ペレットというスイスの発明家がいました。
1897年5月6日にペレットは、通常の(補正がない)ヒゲゼンマイであれば温度が上がると慣性モーメントが大きくなり回転しにくくなってしまいますが、それを十分に補えるほど、温度の上昇に伴って強度が増すヒゲゼンマイを搭載した脱進機の特許をスイスで申請しました。
この特許は1898年1月15日にスイスでCH 14270として、1898年2月5日にイギリスでGB 25,142として、1901年3月12日にアメリカでU.S. 669,763として承認されました。
その後、ペレットはこの技術を使ったヒゲゼンマイを製造するため、自ら起業もしました。
上の画像にある、スイス時計協会(La Fédération horlogère suisse)が掲載した広告は1901年のものです。
タイトル「狂いのない時計(Timing of watches)」の下には「磁性の無い、ニッケル鋼合金のヒゲゼンマイ搭載の時計で、狂いのない計時が可能に。お問合せはポール・ペレットのメーカー、フルリエまで」と書かれています。
普通のヒゲゼンマイの場合、温度上昇により日々生じる時間のズレは、摂氏1度につき15秒から18秒程とばらつきがあると言われていますが、ポール・ペレットのニッケル鋼で作った磁性の無いヒゲゼンマイであれば、摂氏1度につき0から1秒であるとされています。
広告の下の方にある注意書きには、ニッケル鋼のヒゲゼンマイを採用したことで二種類の金属でできた天輪が不要になり、全て真鍮製の天輪を使うことができるので最高の性能が期待できると書かれています。
1903年にわずか49歳で亡くなってしまいましたが、もしもっと長く研究を続けていればペレットはもっと有名になっていたでしょう。
ペレットは生涯を通して、天輪とヒゲゼンマイの変化を補正する取り組みを続けていました。
ペレットの死後、1905年に発行された、天輪とヒゲゼンマイの補正に関する研究論文では、ペレットが共に研究に取り組んでいた企業として、タバンも挙げられていました。
こうして考えると、サブマリンウォッチを製造していたのがタバンであったというのは、単なる偶然ではないでしょう。
サブマリン リストウォッチ
では、その時計は実際にどのような構造になってたのかを見てみましょう。
サブマリンウォッチは、ねじ込み式の裏蓋とねじ込み式のベゼルを採用することで防水となりました。
この裏蓋とベゼルはともに、防水性能を高めるため圧縮性のガスケットにぴったりと押し当てられており、またリューズの軸が通る穴からケースへと水が入らないように、耐水性の圧縮シールが貼られています。
軸の通る穴の部分に、Oリングを挟んで、軸の先端に取り付けた丸い真鍮のナットでねじ込むことで、Oリングを圧縮して固く封じます。
この写真を見ると、ケースの真ん中に、ベゼルと裏蓋をねじ込む溝があるのも分かると思います。
裏蓋をねじ込むための溝のさらに内側に掘られた凹みには、密封するためのガスケットが取り付けられます。
(2014年に発行された 、サブマリンウォッチに関するNAWCC Watch&Clockの記事)
防水時計について私の考察
多くの人が初の防水の時計だと思っているのは、ロレックスのオイスターですがタバンの先ほど説明したケースは、これより10年以上も前からあったとされており、少なくとも初めてもしくは2番目くらいの速さだと思われます。
(防水ケースは、FB社『フランソワ・ボーゲル』のケースが1番の説もあるためですね)
ボーゲルについて知らない方は、こちらの動画をご覧ください↓
サブマリンウォッチは、ロレックスのオイスターよりも圧倒的に実用的でもありました。
サブマリンウォッチは時計を巻いたり時間をセットする際にリューズを緩める必要が無いので、リューズの軸のネジ山が摩耗することもありません。
自動巻きが導入される前の初期のオイスターでは、ネジ山が摩耗してしまうことは大きな問題でした。
またサブマリンウォッチはオイスターとは違い、時計を巻いたり時間をセットする間も防水機能は保たれます。
時計を巻いた後、リューズを締めなければ防水機能が働かないということもないので、ロレックスのオイスターのようにリューズの締め忘れによって時計が壊れてしまうということもありません。
このことから、サブマリンウォッチがなぜあまり知られていないのかという疑問の答えは、サブマリンウォッチが第一次世界大戦の最中で二人の潜水司令官の要望から生まれた時計であったということにあると思います。
ベルトウォッチ1928
タヴァンヌベルトウォッチ1928
© Tavannes
タバンは腕時計のムーブメントの初期の生産者であり、この目的のためだけに1910年代に小口径を導入しました。
それらは、ジャガー・ルクルト、ダンヒル、エルメス、カルティエなど、多くの主要メーカーに供給しました。
タバンのムーブメントメーカーはLisica SAと呼ばれ、多くの時計がこのムーブメントを採用しています。
タバンの革新の1つは、英国王エドワード8世のベルトバックルウォッチでした。
これにより、ベルトやデスク用の他の「キャプティブ」ウォッチが作成され、タバンのムーブメントを使用した象徴的なジャガー・ルクルトレベルソに影響を与えた可能性があります。
『エルメス』と『カルティエ』はベルトバックルウォッチを「ラキャプティブ」として販売しました。
ドライバーズウォッチ1930
タヴァンヌドライバーズウォッチ1930
© Tavannes
20世紀の2つの最大の発明は、おそらく高級機械式腕時計と自動車です。
1930年代初頭、様々なメーカーが自動車用の時計を作っていました。
同時に、タバンはドライバーズウォッチを作成しました。
この時計は、運転中の時間を知らせるために手首の側面に装着するように設計されています。
1966年に生産を停止
しかし、 1966年までに生産は停止しました。スイスの時計大手ASUAGは、その年、 ChronosHolding社の下でCymaとTavannesの両方のブランドを採用しました。