ユニバーサル・ジュネーヴの繫栄と衰退の歴史

世界中にカルト的な人気を誇るユニバーサル・ジュネーブの歴史

ここ近年ユニバーサル・ジュネーヴの時計の人気が復活しているのをご存じでしょうか。

ビンテージブームが広がったことで、コレクター達によって、手頃な価格の時計が掘り起こされるようになりました。

その結果、ユニバーサル・ジュネーヴのような長い間消滅していたブランドが、ルネッサンスの如く、新たな世代のコレクター達に見直されているのです。今回は、このユニバーサル・ジュネーブの繁栄と衰退の歴史をご紹介します。

ユニバーサル・ジュネーブの誕生

ユニバーサル・ジュネーブのは1894年、スイスのル・ロックルでユニバーサル・ウォッチとして創業され、フランス語で組み立て工場を意味するエスタブリッシュメントとして、工房の役割を担っていました。

 

このころ、エボージュ(他社製ムーヴメント)の検品をし、文字盤、針、ケースにムーヴメントを搭載して梱包、出荷していました。

ユニバーサル・ジュネーブ スイス
https://universal.ch/en/histoire-et-chronologie/

1919年にジュネーブへ業務のほとんどを映し、ユニバーサル・ジュネーブへと移行しました。

 

時計学を学んでいた2人の学生が設立し、製造業をルーツにしながら、すぐに24時間表示の時計の特許を取得します。


第一次世界大戦中、懐中時計とトレンチウォッチを製造していましたが、スイスという国柄のためか、大戦中の両国に時計を提供していました。


1925年には、特許取得に着手し、初の自動巻き時計の製造「オートレム」を製造しました。

この時計は8角形のユニークな形をしていました。

ユニバーサル・ジュネーブの創業者のうちの一人はすでにこの世を去っており、2代目の創業者であるユリシー・ペレはオートレムの発売して数年後に亡くなっています。

その後、ペレの息子がビジネスを引き継ぎ、後の30年間の家族経営が継承されています。

エルメスとコンパックスの時代

1936年、ユニバーサル・ジュネーブは初の「エアロコンパックス」(エイビエーター・コンパクト・クロノグラフの略)を生み出しました。

この頃には、腕時計の人気が高まりつつあり、特にクロノグラフは消費者に人気でした。

ストップウォッチ機能は日常的に使用できる上、軍事的にも使用され、訓練や戦闘作戦にも適していました。

その後コンパックスには様々なバリエーションが登場し、「ユニ・コンパックス」「トライ・コンパックス」「ムーン・フェーズ」「マスター・ボーテックス」などが広く知られるようになりました。

 ユニバーサル・ジュネーブ コンパックス

https://www.rescapement.com/blog/universal-geneve-what-happened-to-every-hipsters-favorite-watch-brand

ユニバーサル・ジュネーブ ムーンフェーズ

https://vintagewatchinc.com/universal-geneve/


この頃、ユニバーサル・ジュネーブはエルメスとの短期間のコラボレーションで「プール・エルメス」シリーズのクロノグラフを製作しました。

エルメスはユニバーサル・ジュネーブの主要な販売拠点となりました。


その時計代理店は、パテック・フィリップを1935年にアメリカに持ち込み、後にパテック・フィリップに吸収されたことで知られたアンリ・スターンでした。


パテック・フィリップが持ち込まれた当初、それはユニバーサル・ジュネーブの姉妹ブランドとして販売されていたのですが、後にユニバーサル・ジュネーブは「貧乏人のパテック・フィリップ」と言われるようになり、今日でも貧乏人のビンテージ・パテック・フィリップと称されています。


上品な歴史を持つユニバーサル・ジュネーブですが、値段は比較的安く手に入れる事ができるでしょう。

エルメスの刻印のあるクロノグラフについては、最大50%までのプレミアがつくこともありますが。


さらに、ユニバーサル・ジュネーブはクロノグラフのムーヴメントをマーテル社から1918年より調達しており、その後マーテル社がクロノグラフ製造のレジェンドでもあるゼニスに買収されたことで、ユニバーサルジュネーブは別会社のムーブメントを使うようになったと言われています。

 

ユニバーサル・ジュネーブとニナ・リント

おそらく現在最も人気のあるUGコンパックスは「ニナ・リント」ではないでしょうか。

1960年代のクラシッククロノグラフ「ニナ・リント」はレーシングドライバーであるヨッヘン・リントの妻であるニナ・リントによって有名になりました。

Ref 885103はパンダ文字盤のクロノグラフ(クリーム色の文字盤に黒のサブダイヤル)で、黒のタキメーターベゼルがあり、それらはロレックスのデイトナなどのレーシングクロノグラフを彷彿させます。

その逆パンダ文字盤は、「イービルニナ」とも呼ばれ、注目を集めました。

ユニバーサル・ジュネーブ ニナ・リント

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ポール・ルーターとジェラルド・ジェンタ

ユニバーサル・ジュネーブが今日最も得意とするのは、「ポレール」です。

比較的世に知られていないジュエリー・デザイナーのジェラルド・ジェンタによりデザインされました。

彼がオーデマ・ピゲの「ロイヤル・オーク」やパテック・フィリップの「ノーチラス」などの有名な作品をデザインする中、「ポール・ルーター」は彼の最初の天才的な作品となりました。

1954年、ユニバーサル・ジュネーブはスカンジナビア航空がニューヨークとロサンゼルスからヨーロッパへの直行する極点飛行を記念し、23歳だったジェンタに時計のデザインを依頼します。

ロレックス最初のGMTマスター(Ref. 6542)が長距離飛行を始めたパンナム航空のパイロットたちに作られたのもこの時期であり、まさにジェット時代の幕開けでした。

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1953年、北極点にノルウェーから出発したスカンジナビアが到着し、アラスカに着陸しました。

 

これは初めての北極点への商業路線でした。

 

このニュースが航空の歴史をさわがせた一方、新たな問題が発展しました。

時計が強力な、磁場へ曝されるという問題です。

ユニバーサル・ジュネーブは耐磁時計を製造していたため、この問題を解決でき、スカンジナビア航空は、公式の時計メーカーに、航空史に残る新たな時計の製作を依頼しました。

そして誕生したのが「ポール・ルーター」です。(ポール・ア・ルーター)と発音されます。

 

最初の数百本はスカンジナビア航空のロゴがあり、非常にレアになっています。

1954年に発表された時計は、34.5mmのケース直径で独特な質感の文字盤が特徴です。

 1955年、ポールルーターはユニバーサル・ジュネーブの新型Cal.215マイクロロータ―・ムーヴメントにアップデートされ、15年間製造されました。

ユニバーサル・ジュネーブ Cal215

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ハミルトンとともに、ユニバーサル・ジュネーブは自動巻きムーヴメントの大量生産と、手ごろな価格の時計を可能にした最初の企業の一つになりました。

その後ポラールには「ポラール・サブ」「ポラール・ジェット」「ポラール・ドゥ・リュクス」「ポラール・デイト」「デイ・デイト」など多彩なバリ―ションが登場し、日付窓が台形の形をしているものも、人気です。

ユニバーサル・ジュネーブ ポーラースーパー

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ユニバーサル・ジュネーブ ポーラールーター デイト

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ユニバーサル・ジュネーブ デイ・デイト

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1965年には、マイクロロータームーヴメントの「キャリバー2-66」が生産されるようになり、「ゴールデン・シャドウ」や「ホワイト・シャドウ」などが誕生しました。

このムーヴメントは厚さが2.3mmで、当時の自動巻きムーヴメントでは最も薄い設計でした。

その後、クオーツ危機がユニバーサル・ジュネーブやその他のスイス時計産業に影響を与えはじめたため、電気式のムーヴメントが採用され始めました。

1970年代から80年代を通して、ユニバーサル・ジュネーブはますますクオーツの生産に力を入れたのですが、その結果、ブランドは壊滅的な打撃を受けました。

ポール・ルーターのクオーツモデルは人気が出ず短命に終わり、かつてはオメガやロンジンなどと同様であったブランド力もこの頃には、地に落ちてしまうのでした。

ユニバーサル・ジュネーブの現在

ユニバーサル・ジュネーブ

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現在、ユニバーサル・ジュネーブは香港の投資グループであるステラックスに所有されて存続しています。

2001年に一時リニューアルされましたが、2009年以降はマーケティング資料やウェブサイトの更新はありません。

現在もスイス時計産業連盟のメンバーでもあり、ステラックスが所有する別ブランド、「シーマ」の生産を監督しています。

 

かつて人気を博したこのブランドの未来が気になります。

時計の世界は予断が許されません。

この10年で、「チュードル」の再出発が大成功したことがありましたが、誰も予想していませんでした。

ヴィンテージ時計のパンテオンの中で、同様またはそれ以上の位置を占めていたユニバーサル・ジュネーブにとって、これは未来のモデルになり得るものでした。

 

しかし、チュードルのリニューアルは、ロレックスとハンス・ウィスドルフ財団により実現されたものであり、どのブランドでも同様にできるものではありません。

今日レガシーブランドやマイクロブランドから「ヘリテージ」時計やオマージュが毎週のように発表されており、そこにユニバーサル・ジュネーブの市場が見つかるかもしれません。

ETA2000シリーズのムーヴメントを搭載し、$2,000以下のヘリテージ・ポーラールーターをリニューアルし、ユニバーサル・ジュネーブが大成功を収めるシナリオも、想像に難しくありません。今のところ、私達がヴィンテージ・ポーラールーターに「落ち着く」しかないでしょう。それも決して悪くはありません。

出典:Universal Geneve: What Happened to the Beloved Watch Brand?https://www.rescapement.com/blog/universal-geneve-what-happened-to-every-hipsters-favorite-watch-brand