先端技術の導入に先駆けたスポーツウォッチの代名詞:タグ・ホイヤー「カレラ」
タグ・ホイヤーの始まりは、「ホイヤー」から
今日のスポーツウォッチの代名詞となった「タグ・ホイヤー」は、最初「ホイヤー」という名前から始まりました。1860年スイス・ジュラ地方のサンティミエという場所で、エドウアルト・ホイヤー(Edouard Heuer)は、20歳の時に正確でかつ信頼できる腕時計を作ることを決断し、工房を初めて開きました。その後、1869年にはクラウン巻き、1886年にはクロノグラフに使われる振動歯車、1895年には防水ケース、1908年には気圧計など次々と特許を取得し、1883年のアムステルダム国際博覧会、1889年のパリ国際博覧会でそれぞれ銀メダルを受賞しました。
1888年には彼の息子であるジュール エドゥ(Jules-Edouard)と、1891年に英国で一緒に働いていたチャールズ オーギュスト(Charles-Auguste)、そして娘であるルイス オノリン(Louise-Honorine)の3人が事業を受け継ぎ、1876年にはロンドン、1910年には米国に進出を果たしました。その2年後である1912年から時計に「ホイヤー」というロゴを初めて使用し始めます。
ホイヤーは、女性用の腕時計を生産する他、時間を正確に測定する分野で他の会社より頭角を現して来ました。当時、懐中時計に革ひもをぶら下げるような形として、1914年に最初のクロノグラフ腕時計を披露しました。さらに、1916年には1/50秒が計測可能な「セミクログラフ(Semikrograph)」の開発に成功することで、1920年のアントワープ、1924年のパリ、1928年のアムステルダムで行われたオリンピックの公式タイムキーパーとして活躍しました。
1933年には、自動車にも搭載可能なダッシュボードツールである「オータビア(Autavia)」を開発し、自動車業界と強い繋がりを結びました。ホイヤーは1939年には防水クロノグラフの時計、1950年にはレガッタダイヤルの「マレオグラフ(Mareograph)」、1957年にはさまざまな目盛りのインナーベゼルを変えて挟むことのできるストップウォッチ機能付きの「リングマスター(Ring Master)」、その翌年の1958年にはクロノグラフ「モンテ・カルロ」と「マスター・タイム」を組み合わせた「ラリー ・マスター」等、今でも評価の高いヴィンテージタグホイヤーの腕時計を世に送りました。
また、1960年スプリットセカンドを追加した「セブリング(Sebring)」、そしてアメリカのハリウッドにまで進出した「フィルム-マスター(Film-Master)」は1960~1970年代の有名な映画監督の映画シーンの測定ツールとして広く使われて来ました。
1940年代ホイヤーのクロノグラフは、米国アイゼンハワーとトルーマン大統領を始め、スウェーデンのウィリアム王子も愛用したとされており、1962年の宇宙飛行士であるジョン・グレン(John Glenn、1921~)がホイヤーストップウォッチを着用することにより、タグ・ホイヤーは宇宙まで行った最初のスイスの時計ブランドとなりました。また、現在はブラッドピットを続き、レオナルド・ディカプリオがタグ・ホイヤーのブランド大使として選ばれました。
カレラ・ミクログラフ1/100秒計測クロノグラフ(Carerra Mikrograph 1 / 100th Second Chronograph )
腕時計の中では、世界初の36万回の振動数で1/100秒計測可能な技術が搭載されており、中央の青色の針がその機能を示しています。互いに影響を与えない、効率的な機能を遂行するため、時間とクロノグラフにそれぞれバランスホイールとエスケープメント、トランスミッションシステムが備わっています。
先端技術の導入に先駆けたスポーツウォッチの代名詞
1964年には1/5秒の目盛が付いた伝説的なクロノグラフ・カレラ(Carrera)を立ち上げました。1969年にはビューレン(BUREN)とブライトリング(BREITLING)が一緒に製作した最初のオートマチック・クロノグラフ・キャリバー11(Calibre 11)を披露し、これを搭載した長方形ケースのモナコが紹介された際、映画「ル・マン(Le Mans)」でスティーブ・マックイーンが着用することで名声を得ることができました。
どのブランドよりも先端技術の導入に先駆けたタグ・ホイヤーは、1966年には1/1000秒まで計測可能なマイクロタイマー(Microtimer)、1973年には手に収まる小さいサイズの1/100秒まで計測可能な正確なマイクロスプリット(Microsplit)を開発するなど数々の業績を残しました。
また、あのスポーツカーの「フェラーリ」創業者であるエンツォフェラーリのアイデアにより、1975年にはLEDとLCDディスプレイを持つ世界初のクオーツクロノグラフ時計、クロノスフリート(Chronospilt)を開発しました。
写真の左がタグ・ホイヤーの名誉会長,ジャックホイヤー(Jack Heuer)、右がTAG Heuerの元CEO, ジャン-クリストフ・ババン(Jean-Christophe Babin)、現在BulgariのCEO
1985年にはマクラーレンF1のオーナーであったタグ(TAG)のグループがホイヤー(Heuer)を買収することで、「ホイヤー」から「タグ・ホイヤー」と名前が変わりました。その後、F1グランプリとアルペンスキーワールドカップの公式時間の測定する会社としても活動しました。1958年から合流したチャールズ ・ ホイヤー(Charles Heuer)の息子であるジャック・ホイヤー(Jack Heuer)は、1999年にLVMHグループ会社を買収した後も、2001年から名誉会長として居続けています。
2004年には髪より細い微細ベルトで歯車を接続する自動車のエンジンの構造方式を応用したV4、2005年には1/1000秒の正確性を持つ最初の機械式クロノグラフあるキャリバー360、2008年にはキャリパー(Caliper)コンセプトのキャリバー36RS、2009年にはオートマチック・クロノグラフ・キャリバー1887という独自の技術を搭載した時計を開発しました。
2004年に髪の毛よりも細い微細ベルトで歯車を接続する自動車のエンジンの構造方式を応用したV4を発売するなど、時計の最先端技術を導入するタグ・ホイヤーの努力は続きます。
タグ・ホイヤー「カレラ」
TAG Heuerはブランドの153年の歴史の中で数々の素晴らしい時計を作ってきましたが、1963年に発売されたクラシックでモーターレーシング(Motor-racing)からインスピレーションを受けた「カレラ」(Carrera)は特にこのブランドの精神が宿っています。
スペイン語で"Race"という意味を持つ「カレラ」という名前のこの時計は最初、モータースポーツ(Motorsports)から始まりました。カレラ・パンアメリカナ(Carrera Panamericana)は1950-1954年の間にメキシコの新Panamericana高速道路で開催されたレースであり、6日間にわたって行われたこのイベントは、イタリアのTarga FlorioとMille Migliaレースが開催されるのと同じ精神で生まれました。
1963年の最初のCarreraモデルが発売する前に、Heuerは既に1953年のCarrera Panamericanaを記念して404シリーズの時計を製作していました。これは以下に示す写真が一つの例であり、Jasper Bitter
このHeuer 404はCarreraが誕生する10年前に作られていましたが、初期のHeuerがレースに対する「ロマンス」と「スピード」そしてそれに伴う「危険」からインスピレーションを受けたというのがHeuer-404という作品を通してわかります。
また、オリジナル作品である1963年のカレラのデザインは、レーシングカーのパネルからインスピレーションを受けているとされています。その理由は、時計の読みやすさと明快さを追求していたからでした。モーターレース用に設計されているため、時計はクロノグラフ(ストップウォッチ機能を含む)でなければならず、スピードを計算できるタキメータースケールも含まれていました。
第二世代のカレラは1969年に発売され、世界初の自動クロノグラフムーブメント「クロノマチック」が開発されました。この第二世代のカレラは1970年代まで続きましたが、70年代が終わるころには、カレラの人気も衰えてしまいました。
それは世界が石英(クオーツ)で動く時計に注目が浴びている中、カレラはその関連性を失ってしまったためであり、HeuerがTAG Heuerになった頃には、Carreraは完全に消え去ってしまいました。
しかし、Carreraが再びTAG Heuerによって再デビューしたのは、その後10年経って「ホイヤー」というブランドの遺産を世に発信するための限定版として販売された時でした。タグ・ホイヤーは再び登場した「カレラ」の大反響により、遺産をテーマにした時計は、2004年に新しく現代的なCarrera(ほぼ20年ぶりの最初の新しいデザイン)の発売につながりました。また、「カレラ」はタグ・ホイヤーの歴史を振り返えさせる遺産を現す作品のみならず、「タグ・ホイヤー」にとって未来を握る重要な作品の1つとなりました。